太田述正コラム#1154(2006.3.30)
<ペシミズム溢れる米国(その4)>
(2)フクヤマの主張
フクヤマは、ネオコン主義(neoconservatism)の変質こそ、米帝国の没落をもたらしかねない諸悪の根源であり、本来のネオコン主義・・(フクヤマの名付けたところの)現実的ウィルソン主義(realistic Wilsonianism)・・に回帰し、この現実的ウィルソン主義に則った対外政策を遂行すべきである、と主張します。
その理由をかいつまんで紹介すると以下のとおりです。
ネオコン主義の起源は、1930年代と1940年代にニューヨーク市立大学を中心とした反共産主義左翼(トロッキスト=Trotskyist)とその少し後の時代のシカゴ大学を中心としたレオ・シュトラウス(Leo Strauss,)、アラン・ブルーム(Allan Bloom)、アルバート・ホールステッター(Albert Wohlstetter)らの保守的哲学者達に遡る。
彼らは、キッシンジャー(Henry Kissinger)に代表されるところの対外政策は国家利益の追求だけに限定されるべきだとする現実主義(realism)とは対蹠的な、次のような考え方に立脚した対外政策の遂行を提唱した。
自由・民主主義国家は平和愛好国家だ。だから、米国は世界中に民主主義と人権を普及する努力をすべきだ。米国は、かかる道義的目的達成のためにその経済力・軍事力を活用すべきだ。その際、同盟は重要だが既存の国際法や国際機関は頼みとするに足らない。また、社会工学(social engineering)・・政府の手で社会変化をもたらすこと・・の有効性は疑わしい。
私(フクヤマ)もまた、ネオコン主義を信奉するネオコンの一人だった。
このネオコン主義の対外政策が実行に移されたのが1980年代だった(注5)。
(注5)バーマン(Paul Berman)は、1970年代から、既にネオコン主義は実行に移されていたと指摘している。アンゴラでの反共ゲリラを使った親ソ政権打倒の画策から始まり、中央アメリカにおける、同じく一連の反共ゲリラを使った親ソ政権打倒の画策がそうだという。そしてその資金を秘密裏に捻出するためにレーガン政権時にイラン・コントラ不祥事が起こったというのだ(太田)。(http://www.nytimes.com/2006/03/26/books/review/26berman.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print。3月26日アクセス)
レーガン政権はネオコン主導の政権であり、ネオコン主義的対ソ政策を遂行したが、結果的に冷戦は終焉し、ほとんど一夜にしてソ連とその東欧の衛星諸国は消滅し、自由・民主主義を標榜する諸国で置き換わった。(実際にはソ連の方で勝手にころんだだけだった!)。ここから、「悪の帝国」の体制変革は容易であり、近代自由・民主主義国家を形成するという社会工学が可能である、という思いこみがネオコンの間で生じた。
こうして、ネオコン主義は、社会工学に懐疑的でソフトパワー(政治力)を重視するマルクス主義的ネオコン主義から、社会工学を是とするハードパワー(就中軍事力)重視のレーニン主義的ネオコン主義へと変質したのだ(コラム#1096参照)(注6)。
(注6)バーマンは、「歴史の終わり」は、どう考えても、社会工学を是とするレーニン主義的著作であり、フクヤマもまた変質したのだ、と皮肉っている(NYタイムス上掲)(太田)。
このことがはっきりしたのが、対イラク戦だ。
クリントン政権とはうって変わり、再び(ウォルフォビッツ(Paul Wolfowitz)・パール(Richard Perle)やクリストル(William Kristol)といった)ネオコン主導となったブッシュ政権は、イスラム教原理主義テロリズム(Jihadism)の脅威をかつての共産主義の脅威並に過大評価した(注7)上で、冷戦の「勝利」体験を踏まえ、かつまた湾岸戦争とコソボ紛争の時にハイテク兵器を駆使することで米兵の死傷数を抑えることができたこともあり、イラクの自由・民主主義化は容易に実現すると信じ、後先のことをほとんど考えず、もっぱら軍事力(しかも過小の軍事力)を用いてフセイン政権を打倒するという愚挙に打って出た(注8)。
(注7)米国の対外政策の重点は、中東ではなく、勃興するアジアにこそ向けられなければならない。
(注8)対イラク戦は愚挙だったが、どうせやるのであれば、フセイン政権の大量破壊兵器疑惑とか、人権蹂躙ないし非人道主義だけを理由にするのではなく、米国が主導した対イラク経済制裁を継続することがもはや政治的・道義的に不可能になっていて、状況打開のためにはフセイン政権の打倒しかない、ということを理由に、しかも主要な理由にすべきだった。
当然と言うべきか、米国は対イラク戦後のイラクで泥沼に陥ってしまっただけでなく、その一国主義(unilateralism)と先制戦争(preemptive war)理論によって世界中から総スカンを食らってしまった。
ここに私は、変質してしまったネオコン主義と訣別し、本来のネオコン主義・・現実的ウィルソン主義・・へ回帰することを決意した(注8)。
(以上、http://www.slate.com/id/2137208/nav/tap1/(3月3日アクセス)、http://www.nytimes.com/2006/03/14/books/14kaku.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print上掲、http://books.guardian.co.uk/reviews/politicsphilosophyandsociety/0,,1739099,00.html上掲、http://www.nytimes.com/2006/03/26/books/review/26berman.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print前掲、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/03/23/AR2006032301430_pf.html上掲による。)
(注8)英国人のジャック(Martin Jacques。コラム#130、997)は、フクヤマは、米国内の風を読む名人であり、「歴史の終わり」はまさに風を読み、その風に乗っただけの駄作だったが、今回の著作も、対イラク戦後の米国内の新しい風(風の変化)を読み、この風に乗っただけの駄作に他ならない、と手厳しくフクヤマを批判している(http://books.guardian.co.uk/reviews/politicsphilosophyandsociety/0,,1739099,00.html。3月25日アクセス)(太田)。
確かに、カクタニ(Michikon Kakutani)が指摘するように、クリントン政権時代の1998年には、イラクに対し、より強い姿勢で臨むべきだとする共同文書に署名し、2001年の9.11同時多発テロの直後にはフセイン政権の打倒を促す共同文書に署名するというごりごりのネオコンであったフクヤマは、2002年に変身したのだ(http://www.nytimes.com/2006/03/14/books/14kaku.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print。3月14日アクセス)(太田)。
(続く)