太田述正コラム#1161(2006.4.3)
<アングロサクソン論をめぐって(続々)(その1)>
(コラム#1142で登場した、読者の小坂亜矢子さんからのメールを、私のホームページの掲示板に転載してあるのでご参照下さい。ご返事はいずれ。)
1 始めに
「欧州における、18世紀のフランス革命に始まる民主主義的ナショナリズムのうねりの思想的根拠を与えたのは、・・スイス人・・ルソーの「社会契約論」でした。・・欧州における(フランスやドイツの)帝国主義的ナショナリズム、(ドイツで生まれ、ロシアに移植され、先の大戦後欧州東部に押しつけられた)マルキシズム、(ドイツやイタリアでの)ファシズムといった同工異曲の粗暴な全体主義イデオロギーの跋扈及び、うち続く革命・戦乱並びにその度ごとの社会の荒廃が、<その>論理的帰結でした。・・<すなわち、>欧州文明<の源は>スイス<であり、他方>アングロサクソン文明の源<は>イギリス<であるところ、この欧州・アングロサクソン>両文明のせめぎあいが世界の近現代史を形作ってきた<の>です。」と、拙著は別にして、私が最初に指摘したのは、コラム#61においてでした。
同じことをコラム#100ではより簡潔に、「ナショナリズム、共産主義、ファシズムと続く民主主義独裁の考え方<、すなわち欧州文明のイデオロギー>のイデオローグが・・ルソーであ<り>、民主主義独裁が世界で最初に・・成立した<のは>フランス<で>した。」と申し上げたところです。
上記指摘中、ルソーに関わる部分については、典拠を示して論じたつもりですが、それ以外の部分については、典拠を探していたところ、適当な本・・英国のドイツ史家バーレー(Michael Burleigh)による“Earthly Powers: The Conflict Between Religion and Politics From the French Revolution to the Great War(注1), HarperCollins”(英国ではOctober2005、米国ではFebruary2006)に出会ったので、この本の中から、私の指摘を裏付ける箇所を紹介することにしました(注2)。
(以下、特に断っていない限りhttp://www.nytimes.com/2006/04/02/books/review/02lilla.html?pagewanted=print(4月2日アクセス。以下同じ)、http://www.newstatesman.com/Bookshop/300000105041、http://www.nrbookservice.com/products/BookPage.asp?prod_cd=c6881、http://blog.lewrockwell.com/lewrw/archives/009304.html、http://search.barnesandnoble.com/booksearch/isbninquiry.asp?z=y&endeca=1&isbn=0060580933、http://www.labyrinthbooks.com/all_detail.aspx?isbn=0060580933、http://books.guardian.co.uk/reviews/politicsphilosophyandsociety/0,,1597840,00.html(注3)、http://books.monstersandcritics.com/nonfiction/reviews/article_1095785.php、http://www.mercatornet.com/content/view/177/41/、http://spaces.msn.com/sam-bedggood/blog/cns!5D9ADA9CD99CA0A9!355.entryによる。(すべて、バーレーの本の書評))
(注1)Great War とは第一次世界大戦のことを指す。
(注2)バーレーは、ホンネは私と同じくアングロサクソン・欧州(西欧)文明峻別論だと思うが、タテマエ上はそうではないことをお断りしておく。
(注3)この書評は、昨年10月にガーディアン電子版に掲載されたものだが、ガーディアンの書評としては、めずらしくピンボケの書評だったこともあって、当時は漫然と読み飛ばしてしまった。
2 バーレーの指摘より(骨子。部分的に太田の言葉に直した。)
欧州は、フランス革命を契機として世俗化が進展し、今では世界で最も非宗教的な地域となっている。
しかし、(国王を殺した後、更に)宗教を殺したフランス革命(注4)は、ただちに政治的/世俗的宗教(political or secular religion)を生み出してしまった。
急進派のジャコバン党員達(Jacobins)は、(国王と)宗教(=カトリック教会)なき後、共和国となったフランスを維持していくためには民衆の間に自己犠牲の精神と帰属意識を確立させる必要があると考え、イタリアのカンパネラ(Tommaso Campanella。1568??1639年)の唱えたプロト・全体主義国家(proto-totalitarian state)(ソラリア(Solaria))論とルソーの一般意思論の影響の下、公衆の参加する儀式等からなる政治的/世俗的宗教(=イデオロギー(ideology))をつくり出し(注5)、ここに近代最初の全体主義社会(totalitarian society)が生誕した。
(注4)1791年に、まず神父は国家への忠誠の宣誓を義務づけられたが、その後宗教は弾圧されるに至り、1794年までには、革命前には4万あった教区が150まで減少した。ノートルダム寺院は、「理性の殿堂(Temple of Reason)」と改名された。
(注5)しかし、皮肉にも、ジャコバン党員らが用いた革命用語は、catechism、credo、gospel、martyr、missionary、sacrament、sermonといったキリスト教用語だらけだった。
この最初の政治的/世俗的宗教=ジャコバン主義(Jacobinism)=ナショナリズム(nationalism。「神」の代わりに「民族(nation)」)こそ、近現代欧州の生み出したハードな全体主義である共産主義(communism。「神」の代わりに「階級(class)」)(注6)やファシズム(fascism/Nazizm=National Socialism(ナチズム))。「神」の代わりに「人種(race)」)や、ソフトな全体主義である官僚的福祉国家主義(bureaucratic welfare statism)といった政治的/世俗的宗教の原型なのだ(注7)(注8)。
(注6)マルクスは、宗教は民衆のアヘンだと言ったが、彼の教義(doctrine。本来はキリスト教用語)はキリスト教用語の言い換えだらけだ。魂(soul)は意識(consciousness)に、忠実なる者(faithful)は同志(comrade)に、罪人達(sinnners)は資本家達(capitalists)に、天国(paradise)は無階級社会(the classless society)に、選民(the chosen people)はプロレタリアート(proletariat)に、そして悪魔(devil)は反革命者(counter-revolutionaries)に言い換えられた。
(注7)共産主義が政治的/世俗的宗教である、という趣旨の指摘を最初に行ったのは、ロシアの思想家である、ベルジャーエフ(Nikolai Berdyaev。1874??1948年)・ブルガコフ(Sergei Bulgakov。1871??1944年)・フランク(Semyon Frank。1877??1950年)だ。(Edward Skidelsky)
(注8)ナショナリズムとファシズムはまさに国家主義(statism)たる政治的/世俗的宗教だし、共産主義も結果的に国家主義に堕してしまったことはご承知のとおりだ。
上述のような全体主義に対置されるのが自由主義(liberalism)であり、自由主義は、1945年と1989年の二度にわたる勝利によって、欧州からハードな全体主義を駆逐することに成功した。しかし、いまだにソフトな全体主義は欧州で生き残っている。