太田述正コラム#11652006.4.5

<アングロサクソン論をめぐって(続々)(その2)>

 宗教の弾圧と政治的/世俗的宗教の誕生によって、一旦トドメを刺されたかに見えたカトリック教会は、その後見事に息を吹き返す。

 カトリック教会の蘇生は以下のような過程をたどった。

 カトリック教会蘇生のきっかけをつくったのはナポレオン(Napoleon Bonaparte1769??1821年。フランス皇帝:1804??14年・1815年)(私のコラムには無数に登場する。例えば#983985参照)だ。

 彼は権力亡者の無神論者だったが、その言に「私はカトリック教徒になることによってヴォンデ(Vendee)の戦いに勝利することができ、イスラム教徒になることによってエジプトで支配を確立することができた。もし私がユダヤ人を統治しようと思ったら、ソロモンの神殿を建設するだろう」とあるように、宗教の有用性を理解していた。

 だからナポレオンはカトリック教会を復権させ、法王臨席の下に執り行われるローマ皇帝としての戴冠式を挙行したのだ。(ただし、法王の手によってではなく、自らの手で冠をかぶった。)

 次いで法王ピオ(Pius)9世(1792??1878年。法王:1846??78年)は、それぞれかつては異端であった法王無謬性ドグマ(dogma of papal infallibility)と処女マリアの処女懐胎教義(doctrine of the Virgin Mary’s Immaculate Conception)を公式化することによって、法王権力の強化と大衆へのカトリシズムの再浸透を図った。

 またこの法王は、自ら策定した1864年誤謬綱領(Syllabus of Errors)の第39条で、「国家が全ての権利の源であって、いかなるものによっても規制されない権利を与えられている」という教義を誤りであるとした。

彼の後継者であるレオ(Leo13世(1810??1903年。法王:1878??1903年)は、より簡潔に「国家なる偶像崇拝(idolatry of the State)」をこきおろした。

 更にレオ13世は、1891年のRerum novarum回状(encyclical)において、資本主義における「雇用主達の冷酷さと野放図な競争なる強欲さ」を痛罵するとともに、返す刀で、共産主義について、その「心地よい夢」は実は「落魄と退化という共通の状況への全員の下降」を意味する、と非難した。

  要するにレオ13世は、欧州を、法王が全欧州の盟主であったプロト欧州文明的な時代へと発展的に回帰させるべく、国家主義的な政治的/世俗的宗教であるナショナリズムや(いまだ出現してはいなかったが)ファシズム、及び反国家主義を標榜する(ものの結局は国家主義に堕してしまう)政治的・世俗的宗教である共産主義の双方を攻撃するとともに、一方でアングロサクソン文明由来の資本主義をも攻撃したのだ(注8)。そして彼は、これらに代わるものとして、官僚的福祉主義の一類型たるコーポラティズム(corporatism政府の経済政策の決定や執行の過程に企業や労働組合を参加させる考え方や運動)を推奨した。

 (注8)昨年亡くなったヨハネ・パウロ(John Paul)2世(コラム#149172175336686688)が、ソ連とそして後には米国を、どちらも無法者と批判したのは、彼が蘇生したカトリック教会の嫡流であることを示している。

第一次政界大戦において、これは偉大なるキリスト教文明の集団自殺であるとして、法王庁が、中立を維持しつつ、その早期収束に向けて努力したのは、カトリック教会が蘇生した現れだったのだ。