太田述正コラム#1174(2006.4.10)
<ライス女史と私>
1 始めに
大抵の日本人が知っている米国の有名人で、私が面識があるのは、「大地」(1931年)の作者として有名な故パール・バック女史(Pearl S. Buck。1892??1973年)(注1)、世銀総裁のウォルフォヴィッツ氏、前米国務副長官のアーミテージ氏、等数えるほどに過ぎません。
(注1)ノーベル文学賞(1938年)受賞者であり、「大地」は米ピューリッツァー賞受賞作品(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF。4月9日アクセス)。
小学校6年生の時(1960年)に、どうやって調べたのか、英語のできる少年がいるということで、パール・バック女史がプロデュースしようとしていた映画の主人公の日本人少年役候補に私が白羽の矢を立てられて、あれよあれよという間に、女史の日本人スタッフの女性との面接を経て、御大とのご対面ということになった。
かなりその気になっていた母親と叔母に連れられて、帝国ホテルの女史のスイートルームに赴いたのだが、私は、父親の蔵書にあった大地を前に読んでおり、高みに立って黄色人種を慈しむ、という(米国人宣教師の娘で支那育ちの)彼女の姿勢に違和感を覚えていたこと、その時の映画の脚本にも同じ臭みを感じたこと、日本人スタッフの、(撮影となれば長期にわたって学校を休まなければならないというのに、)いかにも主人公に選ばれるのが名誉であるかのような態度に反発したこと、から、パール・バック女史に直接、「映画には出たくない」と伝えた。
今振り返ってみると、当時の私はまことにかわいげのないこまっちゃくれた子供だったと思うし、何という浅はかなもったいないことをしたのかと思う。
2 ライス女史と私
残念ながら、米国務長官のライス女史(Condoleezza Rice。1954年??)とは全く面識がないのですが、彼女と私は、ピアノ(ピアニストになることを考えたことがある)(注2)とスタンフォード大学政治学科(彼女は1981??2000年、教師だったし、私は1974??76年、ビジネススクールの方がメインだったが、政治学科マスターコースにも在籍していた)という共通項があるため、以前から親近感を抱いていました。
(以上、http://en.wikipedia.org/wiki/Condoleezza_Rice(4月9日アクセス)による。)
(注2)もっとも、女史は、15歳の時に居住地のデンバーの学生コンクールに優勝して、ご褒美としてデンバー交響楽団とモーツアルトのピアノ協奏曲を演奏しており、11歳の時に毎日新聞のコンクール(中学生の部)に出て落ちた私より、キャリアは相当上だ。
(注3)政治学のPh.Dであり、助教授、準教授、を経て教授になり、更に副学長を兼ねた女史と、単なるMA取得者の私とでは、文字通り月とスッポンの違いがある。
しかし、ニューヨークタイムスの記事を読んでいたら、女史と私で、スタンフォードがらみの共通項がもう一つあることを発見しました。
スタンフォード大学の音楽学科です。
女史は、二年飛び級をして、15歳でデンバー大学に入学し、音楽(ピアノ)を専攻するするのですが、自分のピアニストとしての才能に見切りを付け、政治学(国際政治)専攻に切り替え、爾来ピアノから遠ざかっていたところ、スタンフォード大学副学長に就任した1993年から、再びピアノを弾こうと思い立ち、同大学音楽学科の教授の個人レッスンを受け始めた、というのです。
現在では、ワシントンでの同好の士と室内楽の演奏を毎週のように女史の自宅で楽しんでいるといいます。
(以上、http://www.nytimes.com/2006/04/09/arts/music/09tomm.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print(4月9日アクセス)及びウィキペディア上掲による。)
私の方は、スタンフォード大学に留学して二年目の夏休みに、夏期学期にロースクールの国際法の授業をとるかたわら、音楽学科のクラシック音楽史の授業をとったのです。
音楽学科は、大学の中心部からちょっと離れた、池の畔の丘の上に立っている瀟洒な別荘風の建物にあり、私のとった授業で、教師が時々ピアノを弾きながら、クラシック音楽史を語るのを聞いていると、学生に美しい女性が何人かいたこともあって、夢見心地になったものです。
3 感想
このように、米国の総合大学では、音楽・絵画・演劇といった芸術系の学科が併設されているのが普通です。
ライス女史が入学したデンバー大学が、まさにそのような総合大学であったからこそ、ピアニストを目指していたライス女史は、政治学者に転身しようという発想が得られたし、また容易に転身することができたに違いありません。また、彼女が再びピアノに目覚めたのも、スタンフォード大学に音楽学科があったことがきっかけになったのではないでしょうか。
日本の大学を顧みると、国公立の総合大学で芸術系の学科が併設されているところは、かつてはなかったし、現在でも極めてわずかであることは問題ではないでしょうか。