太田述正コラム#11832006.4.14

<女性差別論と女性差別批判論(その2)>

 ヒルシは、女性差別の究極形態、女性に対する大量の物理的虐待・・彼女に言わせればホロコーストないし女性殺し(gendercide)の名に値する・・を糾弾しています。

 ヒルシの指摘に耳を傾けてみましょう。

(一)男の子の方が好まれる国々において、選択的堕胎と嬰児殺しが女児に対して行われている。

(二)少なからざる国々において、若い男性の方に食物と薬が優先して与えられるために、若い女性は、男性に比べて不均衡に多く死亡している。

(三)少なからざる国々において、女性は男性の所有物とみなされており、彼女たちの父親や兄弟達は、彼女が自分で性的パートナーを選んだ場合は彼女を殺すことが認められている。

(四)野蛮極まる国際女性取引において、多数の若い女性が死に至らしめられている。

(五)全ての国で、家庭内暴力は、女性の死亡原因の主要なものの一つだ。

(六)WTOによれば、毎日6,000人の若い女性が性器(クリトリス)を切除されている。このため、多数が死亡し、残りの女性達も、生涯にわたってひどい痛みに苦しめられている。

 以上の結果、国連の推計によれば、全世界で現在1億1,300万人から2億人の女性が行方不明になっており、毎年、150万人から300万人の女性が、性差別に由来する暴力や虐待(neglect)によって死亡している。

 事態はこれほども深刻なのに、これらの数字がすべて推計でしかないことは恥ずべきことだ。

 その理由は三つある。

 第一に、女性が組織化・団結していないことだ。とりわけ比較的恵まれている先進国の女性が発展途上国の女性問題にほとんど関心を持っておらず、よって発展途上国に対し政治的圧力を全くかけようとしていないことだ。

 第二に、イスラム教原理主義の存在だ。すなわち、彼らがシャリアを金科玉条とし、女性差別・虐待を当然視していることだ。

 第三に、先進国に蔓延する文化的・道徳的相対主義だ。すなわち、先進国の人々が、イスラム的・アジア的価値を尊重すると称して、イスラム・アジア諸国における女性差別を容認してしまっていることだ。

(以上、http://www.csmonitor.com/2006/0404/p09s01-coop.html(4月4日アクセス)による。)(注2

(注2)ヒルシの力点は、第三世界における女性差別の撤廃にあるが、補足的に、先進国になお残る女性差別の撤廃に力点を置く論者中最も過激な人物・・文字通りの戦闘的フェミニスト・・である米国のマッキノン(Catharine MacKinnon)女史についても紹介しておく。

    マッキノンは、先進国においては、確かに男女は形式的には平等だが、実質的には、すなわち経済的・社会的・文化的・宗教的には依然不平等であり差別されていると指摘する。

彼女は、このように女性が実質的には差別されているにもかかわらず、性交の際に女性が自由であり男女が平等であるとするタテマエがとられているのはおかしいとも指摘する。

その上で彼女は、第一に、女性の同意(consent)があれば強姦罪が成立しないという取り扱いは変更されるべきであり、暴力を伴った性交については女性の不同意が推定されるべきだ、と主張する。そして第二に、売春については、1999年に導入されたスェーデンの法律のように、買春は処罰し、売春は処罰すべきでない、と主張する。そして第三に、ポルノ(pornography)は女性に関する誤った認識をまき散らしているので、ポルノが憲法で認められている表現の自由の範疇に属するとの考え方は廃棄されるべきであり、(ポルノは刑事法で規制されるべきではないが、)ポルノを見ることで精神的苦痛を蒙った女性(や子供)は不法行為に基づく損害賠償請求権が認められるべきだ、と主張する。

(以上、http://books.guardian.co.uk/departments/politicsphilosophyandsociety/story/0,,1752217,00.html(4月13日アクセス)による。)

(完)