<ユダの福音書(続)(その1)>
(本篇は、コラム#1169の続きです。)
1 始めに
ユダの福音書の発表以来、様々な議論が続いています。
ユダの福音書発見以来、それがカネ目当ての古物商達の思惑で、長期にわたって退蔵され、その過程でパピルス文書の著しい劣化が進んでしまった、という話題について関心のある方は、http://www.latimes.com/news/opinion/editorials/la-ed-judas13apr13,0,7588778,print.story?coll=la-news-comment-editorialsやhttp://www.nytimes.com/2006/04/13/science/13judas.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print(どちらも4月14日アクセス)をご覧頂くこととして、今回は、それ以外の話題を取り上げてみましょう。
2 ユダと反ユダヤ主義
最初はニューヨークタイムス掲載の論考(http://www.nytimes.com/2006/04/09/weekinreview/09gibson.html?pagewanted=print。4月10日アクセス)です。(要約)
仮に、ユダの福音書が最初から新約聖書の4つの福音書並の権威あるキリスト教文書とされてきていたとすれば、欧州で反ユダヤ主義があれほど猖獗を極めることはなかったのだろうか。
どうやら、結果はあまり違わなかったようだ。
キリスト教が生まれ、それがユダヤ人には広まらなかった瞬間から、キリスト教徒とユダヤ人(ユダヤ教徒)との間の近親憎悪関係が始まった。
最初は劣勢だったキリスト教だったが、ユダヤ人のローマ帝国に対する叛乱が叩きつぶされ、一方でキリスト教がローマ帝国内に広まって行った結果、形勢は逆転する。しかし、その後もキリスト教徒はしばしばあえて弱者の立場をとり、本当の弱者であるユダヤ人を苛めた。
その時に「活用」されたのがユダだった。
2世紀のキリスト教司教パピアス(Papias)は、ユダが、晩年、ぶくぶくに膨れあがり、目はふさがって見えず、歩くこともままならなくなり、いやな臭いをまき散らし、小便には膿汁や虫が混じり、最後には2輪馬車にひきつぶされた、という伝説を紡ぎ出した。
そして、中世までには、ユダヤ教を一身に体現したユダの醜い原型・・せむしで大きな鼻と赤い髪を持ち、カネのためにはキリスト教徒を裏切ることを含め、何でもやる・・が形作られ始める。ダンテ(Dante Alighieri。1265??1321年)は、「神曲」の地獄篇において、ユダを最下層の地獄で呻吟させたし、聖週間に演じられるキリスト受難(passion)劇では、ユダが地獄で悪魔達によって虐められる姿がしばしば描かれた。
ヨハネ等の福音書をユダの福音書のように解釈することができる(コラム#1169)にもかかわらず、このようにユダは悪役中の悪役に仕立て上げられたくらいだから、仮にユダの存在を抹殺できたとしても、代わりはいくらでも出てきただろうと考えられている(注1)。
(注1)ユダが抹殺されたとしても、マタイの福音書の一節で、ユダヤ人群衆がローマ総督のピラト(Pontius Pilate)に、イエスと悪人のバラバ(Barabbas)とどちらを十字架にかけるべきかと問われ、全員が異口同音に、イエスを十字架に架けよと答え、イエスが流した血は「われわれ及びわれわれの子孫の上に注がれる」(27:25)と答えた箇所が根拠になったろう。
その一番の有力候補は、イエスをピラトに引き渡したユダヤ人神官のカイアファ(Caiaphas)だ。
(続く)