太田述正コラム#1190(2006.4.18)
<裁判雑記(その6)>
(1)匿名性
私は、コラム#195において、原告たる副署長(転落事件当時)の実名(や刑事課員の実名)は記していない。
コラム#195の読者が、原告の実名を知るためには、私が典拠とした本を読むか、ネット上で転落事件を取り扱っているサイトを探して読むかしかない。もちろん、コラム#195を読む前から転落事件をめぐる論議を知っていた読者がいた可能性も理論上はある。
しかし、前述した私のミスを指摘した読者がいなかったどころか、このコラムを掲載した私のホームページへの、このコラム#195に係る投稿が一件もなかったような記憶がある(未確認)ことから推察すると、上記のような熱心な読者はほとんどいなかった可能性が高い。
現在、私のコラムを読んでいる読者は2000人余と推定されるが、2003年11月当時は、その半分にも達していなかった(未確認)ことを考えると、これは必ずしも不思議ではない。
いずれにせよ、私のコラム#195を読んで、原告に「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」作為不作為があったとの指摘を、原告らの実名を伴った形で認識することとなった読者はほとんどいなかった可能性がこのように高いのだから、私のコラムが「原告の職務遂行についての社会的評価をいたく低下せしめた」かどうかなど論ずるまでもないことになる。
また、私のコラム#195の読者は、私のミスにより、原告が創価学会員であるとする記述が私が典拠とした本にあると誤解させられたわけだが、読者には原告の実名が分からない以上、これだけでは原告に全く不利益を与えていないということにもなる。
(2)手続的事項
私に対し、書状やメールを送ったり、私と面談をする等により、問題の解決を図り、それがうまくいかない場合に訴訟を提起するのが普通だと思うが、いきなり訴訟提起した原告の存念が私にはよく分からない。
また、私としては、不法行為が成立しないと考えているので、本来損害賠償について論じる必要はないが、原告は140万円を賠償請求しているところ、この金額の積算根拠が示されていないのはいかがなものか。
とりわけ疑問に思うのは、原告がコラム#195の削除要求や、謝罪文のコラムへの掲載等を要求していない点だ。これでは、140万円を支払えば、コラム#195について、引き続きネット上での掲載を認める、という要求趣旨であるとも受け取れる余地がある。
(3)私の希望
私としては、自分が「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」作為不作為がなかった旨の主張を原告に文書にしてもらい、これをコラムとして配信するとともに、私のホームページに掲載したいと考えており、原告の同意を求めるつもりだ。
(原告が副署長当時創価学会員であったとの記述が私が典拠とした本にはなかったことは、既に前述したところであり、私のコラムの読者の知るところとなっている。)
その上で、私が典拠とした本と原告のどちらの主張がより説得力があるか、個々の読者に判断してもらいたいと思う。
本来、言論に対しては極力言論で対抗すべきであり、権力によって言論を封じる結果になりかねない訴訟提起は最後の手段であるべきだ。
原告が翻意し、訴訟を取り下げることを強く希望する次第だ。
裁判雑記(その6)
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