太田述正コラム#12052006.4.28

<古の枢軸の時代に学ぶ中共(その1)>

1 胡錦涛の八栄八恥

中共の胡錦涛国家主席は、3月中旬に、国政助言機関たる人民政治協商会議で、若者や共産党幹部らの新たな道徳規範として、八栄八恥(eight honors, eight disgraces提唱しました。

 中共の教育部長(文部大臣)は八栄八恥を今後、必須科目として、小中学校の国語や歴史のカリキュラムに組み込むほか、高校や大学でも、重点学習の内容とする方針を打ち出しており、党中央組織部でも各地の党機関に対して、学習活動と同時に、幹部を評価する重要基準の一つとして導入するよう通達しました。

 (以上、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060328-00000028-san-int(4月27日アクセス)による。)

「八栄」とは、「祖国熱愛、人民奉仕、科学崇拝、勤勉労働、団結互助、誠実信頼、法規順守、刻苦奮闘」であり、「八恥」とは「祖国危害、人民背離、無知蒙昧、安逸無労働、自分勝手、利益優先、違法乱規、贅沢三昧」です(注1)(http://www.9393.co.jp/qdaigaku/yanagita/kako_dai_yanagita/2006/06_0331_yanagita.html。4月27日アクセス)

(注1)英訳は以下のとおり(http://www.csmonitor.com/2006/0425/p01s02-woap.html。4月25日アクセス)。

? The honor of loving the motherland; the shame of endangering the motherland.

? The honor of serving the people; the shame of turning away from the people.

? The honor of upholding science; the shame of ignorance and illiteracy.

? The honor of industrious labor; the shame of indolence.

? The honor of togetherness and cooperation; the shame of profiting at the expense of others.

? The honor of honesty and keeping one’s word; the shame of abandoning morality for profit.

? The honor of discipline and obedience; the shame of lawlessness and disorder.

? The honor of striving arduously; the shame of wallowing in luxury.

2 教育勅語や十七条憲法との比較

 (1)始めに

 道徳規範と言えば、日本の教育勅語と十七条憲法を思い出します。

 

 (2)教育勅語

教育勅語は、1890年に発布されたものであり、孝行・友愛・夫婦の和・朋友の信・謙遜・博愛・修学習業(勉学に励み職業を身につけましょう)・知能啓発(知識を養い才能を伸ばしましょう)・徳器成就(人格の向上につとめましょう)・公益世務(広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)・遵法・義勇、という12の儒教的徳目について、天皇自ら、日本国民ともども、これを遵守するとともに、その更なる発展に努力したいと願い誓ったものですhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8B%85%E8%AA%9E、及びhttp://www.meijijingu.or.jp/japanese/gosai/educate/(どちらも4月28日アクセス))。

 (3)十七条憲法

十七条憲法は、604年に聖徳太子が作ったとされる、官僚ないし貴族向けの仏教的・儒教的道徳規範です。

各条の大意は以下のとおりです。

一、和(仲よくすること)が大切である。上の者と下の者が仲良く話し合えば、成就しないことはない。

二、仏と法と僧を敬え。この三つの宝によらなければ、まがった人間をただすことはできない。

三、天皇の命令には必ず従え。天皇は天であり、臣民は地である。

四、役人は礼儀正しくあれ。上の者に礼がなければ治まらないし、下の者に礼がなければ、きっと罰せざるをえないような罪を犯すことになる。

五、役人は私利私欲を捨てよ。人民の願いごとを明白に裁かなければならない。

六、勧善懲悪をおこなえ。そうでなくては国家大乱のもととなる。

七、人にはそれぞれに任(つとめ)がある。自分の責任の範囲を守るべし。

八、役人は、早く出勤して遅くまで働け。政務は多忙である。

九、何事をするにも信(真心)をもってせよ。そうすればうまくいかないことなどない。

十、他人が自分に逆らったからといって怒るな。自分も他人も絶対的に正しいということはない。

十一、下役の者に手柄があったか失敗があったかをよく見抜いて、まちがいなく賞罰を行ないなさい。

十二、地方の役人は勝手に税を取りたててはならない。人民の主は天皇だけである。

十三、いろいろな役目に任命された役人は、それぞれの役人の職掌(役柄や仕事)を知らねばならない。病欠の穴を埋め、円滑に引き継ぎを行わなければならない。

十四、役人たちは、他人を妬むな。憎しみには果てがない。

十五、私情を棄てて公のために尽くせ。自分本意は他人の恨みを買い、公務の妨げとなる。

十六、人民を使役するには時節を考えなければならない。春や秋に駆り出して、農業や蚕業の妨げになってはならない。

十七、政治上のことは独断せず、多勢と相談せよ。小さなことはともかく、大事なことにあやまちがあってはならない。

 (以上、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%9D%A1%E6%86%B2%E6%B3%95http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/17zyoukennpou.html

http://www.hyou.net/sa/17jou.htm(いずれも4月28日アクセス)による。)

 (4) 八栄八恥との比較

八栄八恥は、全国民を対象にしているという点では教育勅語と同じですが、教育勅語は発布者たる天皇もこれを遵守・発展させるべきものとされているのに対し、八栄八恥の発布者たる胡錦涛にはそのような姿勢が見られません。そうである以上、八栄八恥は全国民を対象にするのではなく、十七条憲法と同様、部下たる為政者・・中共の場合は共産党員・・向けの道徳規範とすべきでした。

また、教育勅語や十七条憲法は、最大限目標ないし努力目標を列挙したものであるのに対し、八栄八恥は最低限守らねばならないことと絶対にやってはならないことを列挙したものに過ぎません。そして、このこととも関連していますが、教育勅語は儒教を踏まえており、十七条憲法は仏教及び儒教を踏まえているのに対し、八栄八恥には精神的・哲学的な深みがありません。

一体どうしてこんなことになったのでしょうか。

(続く)