太田述正コラム#12112006.5.1

<ガルブレイスの死(その1)>

1 始めに

 著名な経済学者のガルブレイス(John Kenneth Galbraithが4月29日に97歳で亡くなりました。

 ところが、英国ではブラウン蔵相が追悼の言葉を述べ、電子版にガーディアンもファイナンシャルタイムスもBBCも大々的に追悼記事を掲載したというのに、米国では、要人は誰一人追悼の言葉を口にしないばかりか、電子版を見る限り、クリスチャンサイエンスモニターは完全に無視し、NYタイムスは、死亡記事欄を開くとようやく追悼記事が現れるというつれない扱いですし、ロサンゼルスタイムスはやCNNは、(本来の意味の)ホームページの隅に、ガルブレイスという名前抜きのささやかな見出しが載っているだけであり、しかもCNNはロイター電の掲載でお茶を濁しており、まともにガルブレイスの死をホームページ取り上げたのはワシントンポストくらいです。

 英米での扱いのこのような違いは、同じアングロサクソンとは言っても、英国(より正確にはイギリス)と米国とではかなりの違いがあるところ、イギリス的なアングロサクソンであったガルブレイスの経済学が、英国では一貫して高く評価され続けたものの、米国では異端になりはてたことを反映しています。

(以下、ガルブレイスについては、http://www.nytimes.com/cfr/international/20050501fareviewessay_v84n3_delong.html?pagewanted=print&position=2005年4月29日アクセス。このガルブレイスの伝記の書評(Foreign Affairsからの転載)は、ガルブレイスの一年後の死を先取りした追悼記事という趣がある)、及び今次追悼記事のhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/330355.stmhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/business/4960280.stmhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/4959302.stmhttp://www.guardian.co.uk/usa/story/0,,1764858,00.htmlhttp://www.guardian.co.uk/usa/story/0,,1764889,00.htmlhttp://news.ft.com/cms/s/3c2eca18-d871-11da-9715-0000779e2340.htmlhttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/04/30/AR2006043000422_pf.htmlhttp://www.latimes.com/news/obituaries/la-me-galbraith30apr30,0,3086374,print.story?coll=la-home-obituarieshttp://www.cnn.com/2006/US/04/30/galbraith.obit.reut/index.htmlhttp://www.nytimes.com/2006/04/30/obituaries/30galbraith.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print(いずれも5月1日アクセス)による。)

2 スタンフォード大学での思い出

 東大では駒場と本郷で、それぞれ経済学(日本では当時マルクス経済学と区別するため、近代経済学と呼んでいた)の概論をかじっていた私でしたが、1974年にスタンフォード大学のビジネススクールに入ってみると、米国では経済学が、ビジネススクールのほかの教科はもちろん、あらゆる社会科学の王座にある、ということを「発見」しました。

 それは一つには、経済学が社会科学の中で最も厳密な形で、つまり数理的な形で理論を構築することに成功していたからですが、もう一つは・・これが重要なのですが・・経済学が、米国の社会科学全体に共通する人間観・社会観、より端的に言えば、イデオロギー、を提示していたからです。

 そのイデオロギーとは、裸の個人主義であり、個人が一人一人異なる効用関数とリスク選好度をひっさげて、自分の欲望の充足のために相互に取引(transaction)を行い、かかる無数の取引の結果として予定調和的な市場・・社会・・が成立する、というものであり、これは人間が社会的存在であることを無視した異常なイデオロギーである、というのが私の感想でした。

 このことを、スタンフォード大学の政治学科の大学院の政治哲学のセミナーでペーパーにして提出したところ、教師に面白かったので、スタンフォードの学部学生(undergraduate)の自分の息子にも読ませたが、なるほど、と感心していたと言われました。

 今にして思えば、実に、この私のつたない米経済学観は、ガルブレイスの米経済学観と基本的に同じものだったのです。

3 「イギリス人」ガルブレイスの米経済学批判

 (1)「イギリス人」ガルブレイス

 ガルブレイスは、スコットランド系カナダ人として1908年にオンタリオ州の農家に生まれました。彼はカナダの大学で農学の学士号を取得した後、米国のカリフォルニア大学バークレー校で農業経済学の修士号を取得し、更に1934年に博士号を取得します。

 つまり、ガルブレイスは、米国よりもはるかにイギリス的なカナダで青少年時代を過ごしたわけです。(彼が米国籍を取得したのは、ようやく1937年になってからのことでした。この年に彼は米国人女性と結婚しています。)

 その上彼は奨学金を得て1937年からイギリスのケンブリッジ大学に1年間留学し、このため、ガルブレイスは、イギリス的な経済学の最たるものであるケインズ(John Maynard Keynes)の経済学・・国家の役割を重視する・・の熱烈な使徒となるのです。

(続く)