太田述正コラム#11544(2020.9.19)
<大津透『律令国家と隋唐文明』を読む(その16)>(2020.12.12公開)
「租庸調は、律令制の代名詞ともいうべき租税制度である。
もちろん唐の律令制の制度を導入したものであるが、実際には大きな性格の違いがある。・・・
⇒おいおい分かってきますが、私見では、日本の「律令制」は「唐の律令制の制度を導入したもので」はないので、当然のことながら、両者の間には「大きな性格の違いがある」のです。(太田)
<まず、>調<(注45)については、>・・・平城宮から木簡が出土したことによって、奈良時代にはたとえば伊豆国・駿河国からは調としてほとんどがカツオ、安房国・上総国からはアワビ、尾張国からは塩が進上されていたことがわかった。
(注45)「京や畿内では軽減、飛騨では免除された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%9F%E5%BA%B8%E8%AA%BF
中国で税金として庸調を納入するのと異なり、各国の特産物を中央に献上する制度なのである。
海産物の生産は実際には個人でなく集団での漁によることに典型的なように、郡司<(注46)>など地方豪族に率いられた共同体的な生産を基礎にすることも特色である。・・・
(注46)「大化5年(649年)頃、地方豪族である国造(くにのみやつこ)の「国」が廃止され、評が置かれて旧国造は、評造・評督などと呼ばれる地方官に任命された。・・・やがて、701年(大宝元年)に編纂された大宝令により、評が廃止されて郡が置かれ、郡司として大領・少領・主政・主帳の四等官に整備される。特に権限が強かった大領・少領のみを<指>して「郡領」とも言う。中央の官人が任期制で派遣されていた国司と異なり、郡司は、旧国造などの地方豪族が世襲的に任命され、任期のない終身官であった。更に養老律令の官位令には郡司が官位相当の対象とされておらず、更に公式令(52条)では郡司が職事官ではないことが明記されており、律令法に基づく制度でありながら実際には律令官制の体系には属さないという特殊な身分であった。
郡司は徴税権のみならず、保管、貢進、運用、班田の収受も任されるなど絶大な権限を有しており、律令制初期の地方行政は朝廷から派遣されていた国司と在地首長としての権威を保持していた郡司との二重構造による統治が行われていた。しかし、朝廷は郡の分割や郷の編入などで郡の再編を進め、豪族の勢力圏と切り離した行政単位としての郡の整備を進める。また、郡内に複数の豪族が拠点を置く場合は、持ち回りで郡司に任命するなど、特定の豪族が郡司を独占しないように配慮した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A1%E5%8F%B8
この調は、ツキ、ミツキと読み、木簡には「御調」と書く例もある。
律令制以前に、地方豪族が任じられていた国造<(注47)>が、中央政府にその土地の特産物を献上するミツキという慣行があり、それを継承したものなのである。
(注47)「古代日本の行政機構において、地方を治める官職の一種。また、その官職に就いた人のこと。軍事権、裁判権などを持つその地方の支配者であったが、大化の改新以降は主に祭祀を司る世襲制の名誉職となった。・・・
地域の豪族が支配した領域が国として扱われたと考えられる。有力な豪族が朝廷によって派遣、または朝廷に帰順して国造に任命され、その多くが允恭朝に臣・連・君(公)・直(凡直)などの姓が贈られた。朝廷直轄領の県主と異なり、・・・広い範囲で自治権を認められた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%80%A0
⇒ということは、「調」に関しては、律令以前と以後とで何も変わらなかった、ということですよね。(太田)
ミツキは「みつぎもの」である。
一方の庸<(注48)>は、・・・唐のように調と同じ品目で調庸として納入することは少なく、海産物や海藻を庸として納入することはない。
(注48)「京や畿内・飛騨国(別項参照)に対して庸は賦課されなかった。現代の租税制度になぞらえれば、人頭税の一種といえる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%9F%E5%BA%B8%E8%AA%BF 前掲
それは庸にも独自の歴史的背景があったためである。
庸はチカラシロとよむ。
名代(なしろ)など部民制において、大王の宮に上番して奉仕するトモの生活を支えるために郷里の部民衆団が生活の糧米を送るシステムがあって、それがチカラのシロ(代わり)である。・・・
奈良時代の民衆は、賦課された庸を、人頭税というよりも自分の郷里から上番した仕丁の一ヵ月分の養物という意識で納税していたことが木簡の付札からうかがわれる。」(84~87)
⇒「庸」に関しても、「調」と同じく、律令以前と以後とで何も変わらなかった、ということですよね。(太田)
(続く)