太田述正コラム#12432006.5.19

<米国的な日常の象徴二つ(その1)>

1 始めに

 米国的な日常を象徴するものには色々あるでしょうが、今回はその最たるものである、芝生と自家用車の二つを取り上げてみました。

2 芝生

 1974年の6月末に私が留学先の米国のスタンフォード大学のキャンパスに初めて到着した時、強い日差しの下で最初に目に入ったのは、一面の青々とした芝生と、その芝生にスプリンクラーが独特の音を立てて水をまいている光景でした。

 今でもその時のことははっきり記憶しています。

 湿気の多いサンフランシスコから目と鼻の先なのに、スタンフォード大学界隈の気候は乾燥しており、スプリンクラーで毎日水をまかないと芝生を維持できない、と聞かされました。

 米国人は芝生がよほど好きなのだろうな、とその時思いました。

 さて、先日読んだワシントンポストの記事に、イラク帰還兵が語った芝生の話が出ていました。

 その帰還兵は午前3時に米国の空港に到着したのですが、外に出ると小雨が降っていて、空気がイラクとは違っていたというのです。「芝生の臭いがした。私はその臭いを一年間嗅がなかった。その臭いに私は打たれ、ああ故郷に戻ってきたと自覚した」と言ったのです(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/05/13/AR2006051301312_pf.html。5月15日アクセス)。

 米国では5,000万の家庭が芝生で囲まれており、ゴルフ場が1万6,000箇所もあり、芝生・産業は年400億米ドルの売り上げがあり、これはベトナムのGDPに匹敵します。

 しかも、米国の人々はみんながみんな、芝生に徹底的に手を入れ、雑草なしのチョー短い、緑が目にしみるような色の芝生にしないと気が済みません。こんな芝生オタクは他国にはあまり見られないのではないでしょうか。

 しかし、米国は昔から芝生オタクの国だったわけではありません。こんなことは戦後の1950年代以降の現象なのです。

 考えても見てください。

 米国で芝生に使われている典型的な品種はブルーグラスですが、これは本来ユーラシアの湿気た寒冷な気候に適しています。だから、こんなものを、ほとんどが乾燥している米国で維持するには大変な努力を要するのです。米国のほとんどで芝生にスプリンクラーがつきものなのはこのためです。

 それにもかかわらず、芝生狂想曲が始まったのは、1950年代に、当時既に米国の一般家庭には電化製品等が一通り揃ってしまったために、消費者も企業も、従来にない新しい製品を求めたからです。

 このニーズに答え、米国の殺虫剤や肥料の会社が、雑草のない深緑の「完璧な芝生」イメージを広告で広め、これに一般消費者が飛びつき、芝生業者も(窒素肥料の代わりだった)クローバーの種を芝生の種に混ぜて売るのをやめ、芝生の売れ行きは大いに増え、このような芝生と、芝生に映える派手な色の自家用車(後述)を持つのが米国の人々のステータスシンボルになったわけです。

 これは、1950年代に急速に進行した米国社会の画一(conformity)化の趨勢にも適合していました。

 このせいで、米国では毎年約7万5,000人が芝刈り機で怪我をし、芝生に肥料をやりすぎることによる地下水の汚染が問題になっています。

(以上、http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-steinberg18mar18,0,5844677,print.story?coll=la-news-comment-opinions(3月19日アクセス)による。)

(続く)