太田述正コラム#1254(2006.5.24)
<アングロサクソン論をめぐって(続x3)(その1)>
(本稿は、同じタイトルの「続」(コラム#1157)、ないし「続々」シリーズ(コラム#1161、1165、未完)の続きです。「続々」シリーズの完結編ではないのでご注意。)
1 文明の頂点に位置するイギリス人
狡猾なのか奥ゆかしいのか、イギリス人がお国自慢をすることはめったにないのですが、先般、(実は結構辛口であるものの、)例外的な論考(http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,,1762640,00.html。4月29日アクセス)に出っくわしたので、ご紹介しておきます。
「英国の政治家は全員、英国の人々の寛容(tolerance)・穏健(moderation)・全般的礼譲(general decency)に敬意を表することが期待されている。いかなる見解の相違があろうとも、われわれが固執するのは、われわれが地球上で最も紳士的にして文明化された人々であることだ。・・・<前首相の>ジョン・メージャーはイギリスが「クリケット場の長い影、暖かいビール、比類なき緑の郊外、犬愛好家、プール愛好家(pool fillers)の国であると夢想した。また、<アンチ・ユートピア小説「1984年」の著者である>ジョージ・オーウェル(George Orwell)は、イギリスを「年老いた女中達が朝の霧の中を自転車に乗って教会(Holy Communion)に向かう」イメージでとらえた。こんな人々がイギリスの丁重さ(civility)に誇りを持っていることなど信じがたいけれど、彼らは多分誇りを持っているのだ。」
若干韜晦されてはいますが、私が、イギリス人は、アングロサクソン文明を頂点とする階層的文明観を持っている、ということがお分かりいただけるのではないでしょうか。
2 「啓蒙運動」を見下すイギリス人
次に、もう少し手の込んでいる論考(http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,,1750610,00.html。4月10日アクセス)をご紹介しましょう。
これは、イギリスと欧州を一括りにして論じるフリをしながら、実はイギリスと欧州を峻別して、後者を見下している、というよくあるタイプの論考なのです。
この論考は、欧州の啓蒙運動(European Enlightenment)とは、一般に「西側の(western)世俗的民主主義の諸原則を生み出した人類史上の他に例を見ない出来事だ。全ての科学的発展、理性の重要性、宗教的寛容、法の支配、合理性(rationality)、世俗国家、人権の進展、及び無神論、はこの知的歴史における枢要なる時期にその淵源を有する。」と定義されているとした上で、代表的な啓蒙思想家としてヒューム(David Hume。スコットランド。スコットランドはイギリスではないことに注意(太田))、ヴォルテール(Voltaire。フランス)、ロック(John Locke。イギリス)の三人を挙げています。
ここでは、イギリスは欧州の一員であって、イギリスにも有力な啓蒙思想家がいた、と言っているわけです。
ところが、この論考は次に、上記定義は狭すぎる、と言い出します。
スコットランドのヒュームやアダム・スミス(Adam Smith)は、合理論(rationalism)者ではなく反合理論(anti-rationalism)者ないし経験論(empirical approach)者であったし、主要な啓蒙思想家には無神論者はいなかったのであって、例えばヴォルテールは無神論者ではなく有神論者(deist)であったというのです。
いつの間にかロックが消え失せてしまったことにお気づきですか。
そしてこの論考は、啓蒙運動にはフランス型・スコットランド型・イタリア型・ドイツ型の四つがあったとし、それぞれが微妙に違っていたと続けています。
ここにも、イギリス型の啓蒙運動は登場しません。
最後にこの論考は、啓蒙運動なるものは、19世紀に18世紀以前を振り返って「発明」された概念であり、欧州が生み出したもう一つの運動(価値観)であるファシズム・・二度にわたる人類史上最も破壊的な戦争を生み出し欧州の評判を地に堕とした・・に対抗し、欧州の名誉を回復すべく1930年代に確立し、1950年代に再確立された欧州固有の概念である、と締めくくっています。
この論考をわれわれはどのように読み解けば良いのでしょうか。