太田述正コラム#1258(2006.5.26)
<スラム化した都市住民の叛乱(その1)>
1 始めに
対イラク戦後のイラクの状況は、われわれに知的果たし状をつきつけています。
自爆テロ・凶悪犯罪・宗派間殺戮等が日常化したバグダッドやいわゆるスンニ三角地帯がどうしてそうなったかを説明してみろ、と。
以前(コラム#399で)、一つの仮説を提示したことがあります。
人類史で初めて農業革命をなしとげたimmobileなオリエント文明が、人類史で初めて産業革命をなしとげたmobileなアングロサクソン文明の攻勢に反発している、という仮説です。
今回もう一つの仮説を提示しましょう。
これは、以前にも一度(コラム#397で)登場したことがあるマイク・デービス(Mike Davis)が、彼の最新の著書の‘Planet of Slums’の中で提示した仮説です。
そこで、この著書の全体像をかいつまんで説明した上で、この新仮説の説明を行いたいと思います。
(以下、この著書の書評であるhttp://www.atimes.com/atimes/Front_Page/HE20Aa01.html(5月20日アクセス)及びhttp://www.versobooks.com/books/cdef/d-titles/davis_m_planet_of_slums.shtml(5月26日アクセス。以下同じ)、並びに著者インタビューであるhttp://www.tomdispatch.com/index.mhtml?pid=82655、http://www.tomdispatch.com/index.mhtml?pid=82790、更には著者の昨年の関連論考であるhttp://www.newleftreview.net/NLR26001.shtmlによる。)
2 都市化の進展とその帰結
(1)都市化の進展
現在、世界の都市人口は32億で、ついに同じく32億である農村人口に追いついた。
農村人口は2020年にピークに達した後、減少していくが、都市人口はその後も当分の間増え続けていくと予想されている。
人口800万人以上をメガ都市と呼ぶとすれば、2000万人以上はハイパー都市と呼ばれるにふさわしい。
1995年時点では、世界にハイパー都市は東京(現在3300万)しかなかったけれど、今ではジャカルタ(2490万)・ダッカ(2500万)・カラチ(2650万)・上海(2700万)・ムンバイ(3300万)が加わり、近々リオデジャネイロ/サンパウロ(3700万)が一つながりとなって仲間入りするだろう(注1)。
(注1)東アジアの勃興に伴い、東京/上海・二軸世界都市がニューヨーク/ロンドン枢軸とともに、世界の資本と情報の流れをコントロールすることになるだろう。
(2)その帰結
このような都市化の進展の帰結は明るいものではない。
都市の間で、そして都市の内において、とてつもない不平等化が進行しているからだ。
まず、都市の間での不平等化の進行だが、かつてマンチェスター・ベルリン・シカゴ・サンクトペテルブルグが産業化によって大都市になったパターンを何とか蹈襲しているのが、ロサンゼルス・サンパウロ・釜山・キューダッドホアレス・バンガロール・広州だが、発展途上国における大部分の大都市は、1800年から1850年にかけて、非産業化によって大都市になった、当時としては例外中の例外のダブリンやナポリのパターンを蹈襲している(注2)。キンシャサ・カルトゥーム・ダルエスサラーム・ヨハネスブルグ・リマ・サンパウロ・ブエノスアイレス・ベロホリゾンテ・コルカタ・ムンバイ・マニラ・ジャカルタ・カイロ・重慶がそうだ。
(注2)19世紀にはこの二都市だけだったのは、当時は、新大陸への移住が可能だったからだ。
これらの現代におけるダブリンやナポリは、ネオリベラリズムないしIMFと世銀による農業の規制緩和と金融規律の押しつけ等によって余剰となった農村人口が、ろくな働き口もないのに都市に吸い寄せられ、スラムの住民となった(注3)(注4)ことで成立したものだ。
(注3)1870年??1900年のビックトリア期帝国主義の頃にも同じようなことが起こった。強制的に世界市場に組み込まれたことによって、アジアアフリカの零細農民達は数百万人が餓死し、数千万人が農村から都市に流入した。(コラム#397参照。)
(注4)1960年代までは、そもそも多くの国で、都市への流入には規制がかかっていた。旧植民地諸国では、植民地時代の流入規制がまだ生きていたし、ソ連や中共では、パスポート制がしかれ、農村の出身者は都市に住むことを規制されていた。
かつてのスラムは、衰退した都市中心部に形成されたものだが、現代におけるスラムは、都市の周辺部に茫漠と広がって行く。
現在約10億人がスラムに住んでおり、都市人口に占めるスラム人口の比率はエチオピアとチャドでは99.4%、アフガニスタンでは98.5%、ネパールでは92%に達している。一番悲惨なのはアフリカのスラム住民だ。マプトとキンシャサでは、住民の三分の二が生存のために必要な食糧を確保できる収入が得られないでいる(注5)。
(注5)スラムと一口で言うが、中南米のスラムが一番マシであり、南アジアのスラムがそれに次ぎ、水や電気がないのがめずらしくないアフリカのスラムが最低だ。
次に、都市の内での不平等化(exclusion)の進行だが、例えばムンバイを例にとると、金持ちが土地の90%を所有しており、残りの10%に貧者がひしめいている。しかも、これら貧者の大部分は土地を所有しているわけではなく、発展途上国の都市住民の85%は不法占拠者だ。
そして金持ちは、都心部の治安の良いえり抜きの一画に住んでいることもあるが、多くは郊外の塀を張り巡らせた高級住宅街に住んでいる。
このスラム住民たる貧者の多くは、失業者か半失業者であり、非公式経済ないし犯罪に従事している。中南米では、非公式経済が新しい仕事の四分の五を占めている。
(続く)