太田述正コラム#1265(2006.5.30)
<支那化するロシア極東(その2)>
(2)最新状況
ここまで読んできた方は、シベリア・極東、特に極東では支那人や支那系の人々であふれている、と思われたかもしれません。
しかし、実際にはこれらの人々の姿はほとんど目に付きません。
というのは、ウラジオストックやハバロフスクやブラゴヴェチェンスク(Blagoveshchensk)などの都会では、彼らはロシアの排外主義的な若者達に襲撃されることを懼れて自分達の工場や農場(後述)、そしてホテルやレストランやカジノや支那人市場の中に閉じこもっているからです(注3)。
(注3)もう一つの可能性は、言われているほど、極東における支那人ないし支那系の人口(定住人口)が多くないことだ。4??5万しかいない、という説もある。仮にこの説が正しいとしても、いずれの説によっても、1991年には支那人ないし支那系の定住人口はゼロだった、というのだから、急速に増えていることは間違いない。
特に彼らが多いのがアムール河(黒竜江)河畔のブラゴヴェチェンスクです。
支那側の黒河(Heihe)市との間をジェットフォイル艇が30分間隔で行き来し、支那の日用品を運んできます。この都市では、建設業も支那の一社がほぼ独占しており、現在極東一高いビルを建設中です。
また、食糧についても、支那から輸入されるものと支那人がやみでロシア側で耕作している畑からとれるものが全部を占めています。
このブラゴヴェチェンスクのあるアムール州(Amursky oblast)は363,700平方kmと日本の面積に匹敵しますが、人口は90万人しかありません。ところが、対岸の黒竜江省(Heilongjiang)の人口は3,500万人にも達しています。
極東全体では、支那側から輸入される日用品や食糧の80%は密輸品であり、ロシア側から輸出される木材もほとんどがそうです。
(海産品の分野だけは、ロシアの漁船が活躍していますが、ロシアの税金や関税が高すぎるため、ロシアに水揚げされるものは少なく、大部分はこれまたヤミで日本の新潟や韓国の釜山に流れてしまっており、売上金も日本や韓国の銀行に預けられています。)
(以上、http://www.atimes.com/atimes/Central_Asia/HE27Ag01.htmlによる。)
3 コメント
ロシアのシベリア・極東、特に極東で、広義のロシア人が減少していく一方で広義の支那人が増大していく傾向は今後とも続くことは必至であると考えられます。
そうである以上、少なくとも極東・・資源の宝庫・・が、今世紀中に熟視が落ちるように支那の実質的支配下、あるいは完全支配下に入る可能性は排除できません。
日本としては、軍事的ないし経済的安全保障の観点からも、可及的速やかに北方領土問題を国後択捉両島は諦める形で解決し、日本が極東やシベリアで、ステークホールダーになれるような緊密な関係をロシアの間で確立する必要があります。
また、ロシア側としても、北方領土問題さえ解決すれば、支那に対抗するためにも、日本との関係強化を切望しているはずです。
このような政策転換を図るためにも、日本における政権交代が待たれるところです。
(完)