太田述正コラム#1274(2006.6.3)
<米国のイラクヒステリー(その1)>
1 イラク介入が失敗した理由
(1)ブッシュ政権批判
米国人の忍耐のなさは今に始まったことではありませんが、イラク介入は失敗だったと決め付けた上、なにゆえに失敗したかを論じる、という風潮が現在の米国には蔓延しています。
その代表例として、ニューヨークタイムスに載った書評(http://www.nytimes.com/2006/04/30/books/review/30heilbrun.html?pagewanted=print。4月30日アクセス)を取り上げてみましょう。
ここでは、ブッシュ政権の三つの理論なるものが俎上に載せられます。
その第一は軽快な戦力の理論です。これは、統合参謀本部議長当時のコリン・パウエル(Colin Powell)がつくったパウエル・ドクトリン・・相手を圧倒できる兵力を整えてから開戦する・・の否定です。
その第二は対テロリスト攻勢の理論です。これは、レーガン政権の時の国防長官ワインバーガー(Caspar Weinberger)が、1984年にレバノン駐留の米海兵隊が自爆テロ攻撃を受けて数百人の死者を出し、海兵隊を撤退させた時にこれを正当化するためにつくったワインバーガー・ドクトリン・・軍隊をテロリストと戦わせない・・の否定です。
そしてその第三は自由・民主主義化万能の理論です。これは、専制政府を打倒し自由・民主主義的政府を樹立すれば、後はすべてうまくゆく、だから専制政府打倒後の計画はあえてつくらない、という理論です。
ブッシュ政権は、イラクに介入するにあたって、この三つの理論に固執した(注1)ため、介入は失敗に終わった、というのです。
(注1)ブッシュ政権は、合理論者(最近では、コラム#1254??1256参照)の巣窟であって、極めて非アングロサクソン的な政権だ、ということになろうか。
つまりこの書評は、第一の理論のおかげで、フセイン政権打倒後の兵力が少なすぎたために、治安が乱れ、テロリストの跳梁を許し、第二の理論のおかげで、民生面での対テロ施策が疎かとなり、第三の理論のおかげで、この理論に最も毒されていたラムズフェルトを長官とする国防省がイラクの戦後統治を担当したため、米国はイラクの戦後統治計画なしの無手勝流でイラクに乗り込んだ、だからイラク介入は失敗した、と言いたいわけです。
(2)感想
ブッシュ政権が拙劣極まる形でイラクに介入したことは、この書評の指摘するとおりです。英国が主導する形でイラク介入が行われておれば、はるかにうまくやったことでしょう。
しかし、果たしてブッシュ政権以外の政権がイラクに介入していたら少しはマシだったのでしょうか。
私はそうは思いません。
米国は日本とドイツの戦後統治をうまくやったということになっていますが、それは例外中の例外であって、唯一の植民地であったフィリピンの統治に失敗した(コラム#201)ほか、盛んに介入を繰り返したカリブ海・中央アメリカ諸国での統治も及第点をつけられるものは皆無と言っても過言ではありません(まだ完結していないが、コラム#1192、1193参照)。
要するに日本とドイツは自己統治能力があったからこそ米国による「統治」がうまくいったというだけのことだったのであって、米国にはそもそも、他民族を統治する能力が欠如していると私は見ています。
ですから、この書評は米国を買いかぶりすぎている、と言わざるをえません。
もっと問題なのは、この書評のせっかちさです。
戦後統治が適切であろうとなかろうと、フセイン政権が打倒されてからまだ三年余しか経っていない現時点で、イラク介入が失敗だったという結論を下すのは早すぎる、と思うのです。
この短気さもまた、米国人が12歳の少年並の成熟度であることを示しています。
(続く)