太田述正コラム#1290(2006.6.11)
<黒人差別と先の大戦(その2)>
さて、フランクリンは、陸軍に徴兵されたらひどい目に遭うことが分かっていたので、海軍を志願することにしました。真珠湾攻撃を受けた直後で、海軍は能力ある若者を集めようと必死になっていました。
募集担当官はフランクリンの志願書を見て驚嘆しました。
速記ができてタイプも一分間に75字印字できる上にハーバード大学の博士号を持っていたのですから。
しかし、募集担当官は一言つぶやいただけでした。「君は一つの重要な資格要件を欠いている。それは肌の色だ」と。
そこで、フランクリンは次に陸軍省に志願先を切り替えました。ハーバードの中退生等を集めて公式の戦史を編纂しようとしていたからです。彼は既に歴史の本を書き上げ、印刷に回したばかりでしたし、その上、ローズベルト大統領夫人の口添えも頼んだのですが、採用には至りませんでした。
フランクリンの兄はもっと悲惨な経験をしました。黒人虐めを旨とした地方の徴兵委員会によって、30歳を超えていて結婚もしていた高校教頭の兄は徴兵され、入隊後白人士官にいじめ抜かれたために、精神に変調を来し、二度と快復することがありませんでした。この兄は戦後すぐの1947年に、ホテルの窓から落ちて(飛び降りて?)亡くなっており、フランクリンは、これは事実上殺人であったと主張しています。
4 感想
フランクリンの自伝に対するNYタイムスの書評兼論説(NYタイムス上掲)は、米国の「栄光の」歴史は今や全面的に修正主義的見方による批判的洗礼を受けているけれど、先の大戦だけはその例外であり、先の大戦における米国の役割は依然褒め称えられ続けているとしつつ、先の大戦当時の米国でひどい人種差別が横行していたことを決して忘れてはならないと述べています。
その上でこの書評兼論説は、これは栄光の陰のささいな恥部などというものではなく、政府によって実施された人種差別主義は先の大戦の核心的部分に関わる問題であって、戦争遂行の努力を阻害しただけでなく、当時の米国社会における人種差別を増幅し、黒人達に快復不可能な傷を与えたのであって、このことを忘れることは犯罪行為の上塗りである、と言い切っています。
私は、この書評兼論説者の念頭には、先の大戦中強制収容所に入れられた日系米人と、収容所から出るため、そして米国に対する忠誠心を照明するため、志願して欧州戦線で戦った日系米人の若者達・・黒人同様、白人部隊とは隔離され、白人士官に率いられた(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/01/AR2006060101565_pf.html。6月6日アクセス)・・のこともあったに違いないと思います。
NYタイムスは、「<米国>政府によって実施された人種差別主義は先の大戦の核心的部分に関わる問題“government-enforced racism was actually at the very heart of the enterprise, <i.e.> the great war”」とまで言ってくれているのですから、このような観点から、先の大戦史を書き換えることは、米国ひいては世界からわれわれ日本人が託されている課題である、とさえ私は思うのです。
すなわち、先の大戦は、有色人種差別意識に凝り固まっていた当時の米国が、こざかしい黄色人種たる日本人が、単純素朴な黄色人種たる支那人等を虐めているという歪んだ情勢認識に基づき、自らが死活的利益を有さない東アジアに介入したために起こった、という観点から先の大戦史は書き換えられるべきなのです。
(完)