太田述正コラム#1349(2006.7.20)
<アングロサクソンはやはり純粋ゲルマン人だった?>(有料→公開)
(これは有料版です。)
1 始めに
以前(コラム#379で)、「イギリス人はアングロサクソンではなく、アングロサクソン文化(ゲルマン文化)をとりいれた・・先住民」であることがロンドンのユニバーシティ・カレッジの研究で判明した、と申し上げたところですが、同じユニバーシティ・カレッジの、別の研究者を始めとするチームが、このたび、正反対の、つまりは伝統的な通念に沿った見解を打ち出し、英国で話題になっています。
(以下、特に断っていない限り
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/5192634.stm。(7月19日アクセス)、及び
http://blogs.guardian.co.uk/news/archives/2006/07/19/ancient_britons_lose_out_to_german_blood.html#more
(7月20日アクセス)による。)
この二つの研究は、どちらもY染色体に着目して行われたものであり、一体どちらが正しいのか、困ってしまいますが、とにかくこの「新しい」学説をご紹介しましょう。
2 「新しい」見解
紀元410年以降、5世紀から7世紀にかけてイギリスで、わずか1万人から20万人しか大陸から渡来しなかったと考えられているアングロサクソンが、200万人前後いたと考えられている先住民のブリトン人に、数百年ないし15世代の間に完全にとってかわり、言語もゲルマン系一色になった(注1)のがなぜかはこれまで大いなる謎だった。
(注1)現在のイギリス人(英国人ではない!)のY染色体(chromosome)の50??100%はゲルマン系のものだ。
今回打ち出された新しい見解によれば、アングロサクソンは、その経済的・軍事的優位から、ブリトン人に比べて成人にまで至る子供の割合が多かった。また、アングロサクソンもブリトン人も互いに通婚することを避けた。
更に、アングロサクソンは、法的にブリトン人を一種のアパルトヘイト下に置き、差別していた。
例えば、史料(例えば、7世紀のthe laws of Ine(注2))によれば、アングロサクソンが殺された場合に遺族に支払われるべき血債(blood money= Wergild)(注3)は、ブリトン人の場合の2??5倍だった。
(注2)Ineは、7世紀から8世紀にかけてのアングロサクソン諸王国の一つウェセックス(Wessex)の国王。成文法を制定したアングロサクソン国王としては二人目。この法の制定により、ウェセックスは中央集権化を実現した。
(http://en.wikipedia.org/wiki/Ine_of_Wessex。7月20日アクセス)
(注3)血債は、元々は、6世紀末から7世紀初にかけて諸王国が成立してイギリスが平穏になった頃、アングロサクソン同士で殺人が起こった場合に延々と続いた復讐の連鎖を断ち切るために導入されたもの
(http://www.millennia.demon.co.uk/ravens/context.htm。7月20日アクセス)。
3 呼びかけ
関心を持たれた方は、ぜひ、この「新しい」見解の詳細(コンピューター・シミュレーションを駆使したもの。http://www.pubs.royalsoc.ac.uk/media/proceedings_b/papers/RSPB20063627.pdf)を直接参照され、冒頭に掲げた私の当惑を解決していただきたいと思います。