太田述正コラム#1351(2006.7.21)
<英米関係史と戦時国際法(その2)>(有料)
(本篇は、コラム#1345の続きです。)
3 自衛権発動の要件
(1)英国における論議
5月に、BBC電子版に、米国が近い将来、イランの核施設等を武力攻撃するとして、それが国際法上許されるのかどうかを論じた記事が掲載されました。
武力攻撃を認めるような国連安保理決議が得られなかった場合、自衛権(国連憲章第51条に明記してある)の行使と言えるか、というわけです(注2)。
(注2)イランがまだ核爆弾の製造に成功しているわけではないことから、核保有国であると自ら宣言している北朝鮮の核施設を米国が攻撃したり、あるいは日本に向けて発射直前の北朝鮮の弾道弾を日本が攻撃したりする場合より、はるかに迂遠なケースであることに注意。
ちなみに、自衛権の行使には、個別的自衛権を行使する場合と(このケースで言えば、イスラエルのために米国が)集団的自衛権を行使する場合とがありますが、憲法第9条を抱える日本とは違って、世界では個別的自衛権と集団的自衛権の区別に余りとらわれません。
今年2月に国際司法裁判所長官に就任した英国人のヒギンス(Rosalyn Higgins)女史は、就任前に、「核時代においては、<「自衛権」のような>漠然とした法文上の条項を、ある国が自らを防衛するのを許さず受動的にその運命を受け入れなければならないように解釈するなどということは非常識である」と米国によるイランの核施設等の武力攻撃を合法とする見解を述べています(注3)。
(注3)私はヒギンス女史の国際法のセミナーをスタンフォードでとったことがある。1977年の夏学期に、女史が英国から避暑を兼ねて(?)客員教授としてやってきた時のことだ。その時私は、東京大学法学部長・文部大臣・最高裁長官等を経て1961??70年、国際司法裁判所判事を務めた田中耕太郎
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%80%95%E5%A4%AA%E9%83%8E
。7月22日アクセス)の国際司法裁判所判事時代の判決(意見)を調べ、それが法規の厳密な解釈というよりは、日本的な(大岡裁き的な)、妥当にして現実的な紛争解決を図るために法規の柔軟な解釈を旨としたものであったことを指摘したペーパーを提出したが、女史は、それに何とD(不可)をつけた。私は、イギリス人は法規の厳密な解釈を当然視している違いない、だから私のペーパーは女史の逆鱗に触れたのだな、と自分を納得させたものだ。しかし、何と言うことはない。女史自身が田中耕太郎でさえ真っ青になるような柔軟な解釈論者ではないか。今度女史に会う機会があったら、ぜひそのあたりを問いただしてみたい。
しかし、ヒギンス説は少数説なのであって、国際法学者の多数説は、脅威が差し迫っていること(急迫性)を自衛権発動の要件としています。
例えば、英検事総長(Attorney General)ゴールドスミス卿(Lord Goldsmith)がそうです。彼は、2003年の米英等による対イラク戦にあたって、英国政府の、複数の国連安保理決議を援用してこれを合法とする理屈を組み立てた人物ですが、2004年には英上院で、イランの核施設等の攻撃は急迫性がないので自衛権発動の対象とはならない、と発言しています。
また、対イラク戦は非合法であるとして、英外務省の法律顧問職を退いたウィルムスハースト(Elizabeth Wilmshurst)女史は、もちろんイランの核施設等の攻撃は、ウラン濃縮を始めたに過ぎない現段階では自衛権発動の要件の「現実性」と「急迫性」が満たされていないと指摘しています。
ストロー(Jack Straw)前英外相も同意見です。
(以上、特に断っていない限り
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4754009.stm
(7月15日アクセス)による。)
(2)論議すらない米国
ところが、肝腎の米国では、このような論議を私は目にしたことがありません。
自衛権発動の要件もまた、対英関係の中で、主として米国のイニシアティブによって確立したものであり、発動の要件をどう解釈するかは、米国の裁量に委ねられている、と思っているからであるとしか考えられないのです。
(続く)