太田述正コラム#1353(2006.7.23)
<英米関係史と戦時国際法(その3)>(有料→公開)

 話は、1837年にカナダ(英国)と米国の間で生起したキャロライン号事件(Caroline Affair)を契機にして当時の米国務長官ウェブスター(Daniel Webster)が英国との交渉過程で1842年に確立したキャロライン・ドクトリンに遡ります。
 (以下、特に断っていない限りhttp://www.findarticles.com/p/articles/mi_m1282/is_12_54/ai_87130362/print
(7月11日アクセス)、
http://www.crimesofwar.org/print/expert/bush-introBush-print.html
(7月15日アクセス)、及び
http://66.102.7.104/search?q=cache:JfHC2HOreHEJ:www.tokai.ac.jp/spirit/archives/human/pdf/hs07/01_05.pdf+%E5%BE%A9%E4%BB%87%EF%BC%9B%E8%87%AA%E8%A1%9B%EF%BC%9B%E5%B9%B2%E6%B8%89&hl=ja&ct=clnk&cd=4&lr=lang_ja
(7月23日アクセス)による。)
 その頃、カナダでイギリスからの独立を目指す反乱が起こっており、ナイヤガラ川の米国境内に停泊していた米国籍のキャロライン号にこの反乱軍の連中が乗っていたところを、英軍が襲撃して、乗船していた反乱軍シンパの米国人1名が死亡し、船は放火された上でナイヤガラの滝から落とされました。
 米国は、主権を侵害されたと英国との間で争いとなり、ウェブスター米国務長官は英国との交渉の中で、武力行使を行うことができる正当な根拠として、自衛・復仇・自国民保護・人道的(内政)干渉、を挙げ、キャロライン号事件は英国による先制的自衛(=anticipatory ないしはpre-emptive self-defense)であるとして、先制的自衛権行使は一定の要件の下でしか認められないと主張しました。
 このウェブスターの先制的自衛の考え方が後に、「先制的自衛行為が許されるのは、自衛の必要があり、その必要性が差し迫っておりかつ圧倒的であって、手段の選択を考える余地も熟慮の時間もない場合に限るのであって、その行為が不合理にして過度のものでないことが必要である(=anticipatory self-defense may be justified only in cases in which the necessity of that self-defence is instant, overwhelming, leaving no choice of means and no moment for deliberation, and the action taken must not be unreasonable or excessive.)」という形に整理されたのです(注4)(注5)
http://en.wikipedia.org/wiki/Caroline_Affair(7月15日アクセス)も参照した)。

 (注4)これを要約して、必要性・緊急性・均衡性、の三要件と言うことがある
http://hunter.main.jp/IL/gSecurity.shtm。7月11日アクセス)。
 (注5)米国では、キャロライン・ドクトリンは、あくまでも「先制的」自衛権行使の要件であるとされているのに対し、戦後の日本では、自衛権一般の行使要件であるとされている。これは、憲法第9条の下で、(集団的自衛権の行使を認めないという政府憲法解釈は論外として、)自衛権に厳しい成約を課する見地からのキャロライン・ドクトリンの歪曲であると言えよう。
     しかも、戦後の日本では、自衛権の行使が認められるのは、行使の「必要性」が求められるのは当然のこととして、そのほか、日本に対する急迫不正の侵害があること(=侵害の「緊急性」+「違法性」)、(2)この場合にこれを排除するために他の適当な手段がないこと(=行為の「補充性」)、(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと(=行為の「均衡性」ならぬ、行為の「必要最少限度性」)、という三要件(実質的には五要件)に該当する場合に限られるとされており、キャロライン・ドクトリンよりも要件が追加されるとともに厳格化されている
http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2006_22736/slides/02/25.html
。7月11日アクセス)のであって、これはキャロライン・ドクトリンの二重の歪曲であると言えよう。

 その後も米国は、ことあるごとにウェブスターの上述のキャロライン・ドクトリン等の考え方を援用しつつ、慣習国際法上、国家には多様な形の実力行使が認められているという主張を行い、実際に多様な形の実力行使を行ってきました。

 例えば、1945年に採択された国連憲章において、その第51条で自衛権発動の要件として武力攻撃を受けたことを挙げていることから、先制的自衛は認められなくなったというのが、多数説ですが、米国は、51条は慣習国際法上認められてきた自衛権を否定したものではなく、そのうち、武力攻撃を受けた場合を例示しただけである、という少数説を主張してきました(注6)(注7)。

 (注6)1974年12月14日に国連総会で侵略の定義が採択された。その第2条に定められているように、武力の先制攻撃は侵略行為の十分な証拠となるものの、国連安保理が他の関連状況に照らして侵略行為を否定することも可能となっている。このことをとらえて、米国は、先制的自衛が認められるとしてきた米国の主張が事後的に承認された、と解している。

 その上米国は、51条は自衛権以外に国際慣習法上認められてきた実力行使の態様・・復仇・自力救済等・・を否定したものではない、という圧倒的少数説すら主張してきたのです。

(続く)