太田述正コラム#1365(2006.8.4)
<イスラエルの反撃の均衡性をめぐって(続)(その4)>

 (明日のオフ会出席予定者は現在5名です。飛び入り出席も大歓迎です。)

 イスラエル周辺の国連平和維持部隊と言えば、1956年のスエズ動乱(第二次中東戦争)後の停戦監視のためにつくられたUNEF(UNITED NATIONS EMERGENCY FORCE)や、1973年の第四次中東戦争後のイスラエルとシリアのゴラン高原における停戦監視のために1974年につくられたUNDOF(United Nations Disengagement Observer Force。自衛隊が派遣されている) もあり、これらもいずれも無用の長物ですが、ここでは、レバノンに係る国連平和維持部隊であるUNIFIL(United Nations Interim Force in Lebanon。に焦点をしぼりましょう。(ただし、UNTSO=U.N. Truce Supervision Organization(後述)についても触れる。)
 UNIFILは、1978年に、イスラエル軍の南レバノンからの撤退を監視し、南レバノンの治安を回復し、レバノン政府の支配を南レバノンに及ぼす目的で暫定的につくられたものです。しかし、その後も南レバノンを舞台にした紛争が続き、他方UNIFILは兵力不足と権限の欠如により本来の任務を果たせないまま、南レバノン住民に対する人道的支援にあたり、現在に至っています。兵力は次第に減らされて現在2,000名です。
 創設以来UNIFILは、南レバノンが、最初はパレスティナ・ゲリラ、次には侵攻したイスラエル軍、更にはイスラエル軍再撤退後のヒズボラの民兵によって席巻されるのを、ヒズボラ支持者の多い南レバノンの一般住民に対して人道的支援を行い始めてからはヒズボラ寄りのスタンスで拱手傍観してきました。
 (以上、基本的に
http://www.nytimes.com/2006/07/19/world/middleeast/19lebanon.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
(7月19日アクセス)による。)
 1996年4月18日、南レバノン侵攻中のイスラエル軍が国境から約10kmレバノン領に入ったところに位置する町であるカナ(Qana)のヒズボラの迫撃砲及びロケット陣地を攻撃していたところ、この町のUNIFILの敷地がイスラエル軍によって「誤射」され、この敷地内に逃げ込んでいた一般住民100人以上が死亡し、約100名が負傷しました。
 その結果、レバノンでの反ヒズボラ勢力もイスラエル軍非難の合唱に加わり、米国が仲介に入ったため、不本意ながらイスラエルは8日後に停戦を受け入れざるを得なくなります。
 しかも、当時オランダの少将が率いる国連調査団は、この砲撃は単なる事故とは言えない、と結論づけました。執拗にこの敷地をねらったイスラエル軍砲撃パターンや、この間、上空にいた2機のヘリコプターと1機の無人機の存在(イスラエルは否定)がその理由です。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2006/07/31/world/middleeast/31qana.html?pagewanted=print
及び
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/5228554.stm
(どちらも7月31日アクセス)による。)
 しかし、当時、既にヒズボラは一般住民やUNIFIL等を楯に使ってきていたことから、イスラエルの人々のUNIFILに対する怒りは一層大きくなって行きました(注9)。

 (注9)国連平和維持部隊の要員に死傷者が出たわけではなく、また、国連施設への攻撃でもないが、今次紛争が始まってから、同じカナで7月30日に一般住民が避難していたビルをイスラエルが「誤爆」して子供27人を含む55人が死亡(一説によると57人死亡。最新情報によると、28人死亡、13人行方不明)した事件(コラム#1361)は、第二次カナ事件と呼ばれることとなり、米国の要求でイスラエルは、今度は不承不承48時間の空爆中止を余儀なくされた
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-080306qanatoll,0,3849751,print.story?coll=la-home-headlines
。8月4日アクセス)。

 その怒りに油を注いだのは、バラク政権の時なのですが、バラクの選挙公約に従って2000年5月にイスラエル軍が南レバノンから撤退した直後の2000年10月に起こった拉致事件です。
 この時、ヒズボラによってイスラエル兵3名が拉致されたのですが、この拉致にUNIFILが手を貸したとイスラエルでは受け止められたのです。
(以上、
http://en.wikipedia.org/wiki/Israel_and_the_United_Nations
前掲による。)
 この拉致事件の解決は長引き、結局シャロン政権の時の2004年に、この3名のイスラエル兵の遺骸(及び1名のイスラエルの民間人)とパレスティナ人等の収容者433名とを交換する形で決着を見ます(注10)
http://www.guardian.co.uk/israel/Story/0,,1823907,00.html
(7月19日アクセス)、
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20060803/mng_____kakushin000.shtml
(8月3日アクセス)、及び
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2006/08/03/2003321640(8月4日アクセス))。

 (注10)これ以外の主な人質交換として、1985年の3名のイスラエル人と1,150 名のパレスティナ人等の交換、及び1996年の2名のイスラエル軍兵士の遺骸と123名のレバノン人等の交換がある。また、今次紛争においては、まず、ガザのハマスがイスラエル軍兵士2名を殺害して1名を拉致し、約1万名にも達するパレスティナ人等の収容者中の313名の子供と95名の女性との交換を求め、次いでレバノンのヒズボラが、イスラエル軍兵士3名を殺害して2名を拉致し、レバノン人等の収容者数千人との交換を求め、いずれもイスラエルが拒否して現在に至っている。
    いささか、交換比率が常軌を逸していると思われる向きがあろうが、イスラエルでは現在でも徴兵制が敷かれていて、イスラエル国民にとって兵士は文字通り息子であり娘である。そして、イスラエル軍が国家存続のために果たしてきた役割にも照らし、兵士は単なる市民よりも大切にされている。従って兵士が拉致された場合は、たとえ遺骸であろうと、イスラエル政府はその救出に常に全力を傾注してきた。

 今次紛争が起こってからは、まず、7月17日にUNIFILのガーナ人兵士がその家族と共にイスラエル軍の「誤射」によって死亡しました
http://www.nytimes.com/2006/07/19/world/middleeast/19lebanon.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
前掲)。
 次いで7月25日、今度は国連のUNTSO(注11)の監視所がイスラエル軍によって「誤爆」され、カナダ・オーストリア・フィンランド・中共の兵士がそれぞれ1名、計4名死亡しました
http://www.time.com/time/world/printout/0,8816,1220278,00.html
(7月30日アクセス)、及び
http://www.un.org/Depts/dpko/missions/untso/index.html
(8月4日アクセス))。

 (注11)1948年の第一次中東戦争後、イスラエルとレバノンの休戦ライン(国境)を監視するためにつくられた国連平和維持活動の第一号。現在総勢50名。UNTSOは、UNIFILの後方支援を受けているようだ。

 このように、イスラエルから見れば、有害無益以外の何物でもなかったUNIFILは、ついに今年8月1日をもって廃止されることになっていたところ、今次紛争勃発により、一ヶ月廃止が先延ばしになってしまいました。これで、UNIFIL創設以降の28年間に、UNIFIL要員の死者は260名に達した勘定になります
http://www.nytimes.com/2006/08/02/opinion/02soderberg.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
。8月3日アクセス)。
 これだけイスラエルにとって有害無益だったUNIFILですから、ヒズボラが、イスラエルとの和平に当たって、南レバノンに新たな国連ないしNATOの平和維持部隊の派遣を嫌い、単なるUNIFILの兵力増大を求めている(The war in Lebanon――Strategic consequences, Strategic Comments – Volume 12, Issue 6 July 2006)のは当然のことなのです。
 更に言えば、反イスラエル的な国連やこのように有害無益なUNIFIL等に対するイスラエル兵士の怒りもまた想像に難くないところであり、レバノン一般住民に対してと同様、イスラエル兵士が未必の故意でもってUNIFIL等に照準を合わせて射爆撃を行い、関係者同士でバレないように口裏合わせを行う、という可能性もまた、否定できないのです。

(完)