太田述正コラム#1399(2006.9.6)
<マクファーレン・メイトランド・福澤諭吉(その2)>
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届いたマクファーレンの本を一冊読み終え、二冊目を読み出しているところですが、少なくとも一冊目については、無料版での紹介をもう少し続けることにしました。
この二冊とも比較的最近のマクファーレンの著書ですが、そのいずれにおいても、彼が日本に注目し、英国と日本を対比しつつ議論を展開していることは、私にとっては驚きであると同時に喜びであり、この私の驚きと喜びを読者の皆さんにもぜひとも味わっていただきたいと思った次第です。
こんな昔の、しかも小難しい話などご免蒙る、という読者もいらっしゃるかもしれませんが、そこは枉げて腰を据えてお読みになることをお勧めします。そうすれば、日本の国内外情勢がより的確に理解できるようになることは請け合いですし、日本が今後進むべき方向さえ見えてくるかもしれませんよ
なお、マクファーレンは、1941年にインドのアッサム州に生まれ、オックスフォード大学で修士・博士を取得し、現在、英ケンブリッジ大学の人類科学の教授をしています。彼についてもっと知りたい方は、
http://www.alanmacfarlane.com/
を参照してください。
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まず、前者についてですが、欧州とイギリスは前述したようにもともと違っていた上に、欧州で、1200年頃からローマ法の再継受が階級制(caste。貴族制・小作制)の深化・普及とほぼ時を同じくして起こった結果、16世紀にはイギリスと欧州は似ても似つかない存在になった(PP13、73、75)というのです。
すなわち欧州では、少数派たる外来のゲルマン系の人々はゲルマン法、多数派たる土着のローマ・ガリア系の人々はローマ法という具合に法系が並存していた西ローマ帝国崩壊直後の時代を経て、やがて地域ごとにその地域の慣習法をベースにした俗化したローマ法が法として通用するに至っていたところ、イタリアのボローニャの法学校がローマのユスティニアヌス(Justinian)法典の研究・教育を始めたことを契機として、1200年頃から、どの地域においても、この法学校伝来の純粋なローマ法の再継受が進んだ、というのです(PP77)。
それにしても、どうしてこの時期にローマ法が再継受されたのでしょうか?
それは、欧州において、フランス・スペイン・イタリア・ドイツ・低地地方(Low Countries)といった、それまでの地域を超えた大地域単位が出現し始めたからであり、これらの大地域単位の首長(国王等)達がそれぞれ、地域ごとに異なっていた法に代わって大地域単位共通の法として、純粋なローマ法を採用したからである、とメイトランドは指摘するのです(注5)(注6)(PP78)。
(注5)ここでも、フランス等に比べ、領域的にコンパクトで、その全領域にわたって単一のゲルマン法たるコモンロー(=「共通」法)を享受してきたイギリスの特殊性が際立つ。実は、イギリスのオックスフォード大学もローマ法研究のメッカの一つであり、おかげで、12世紀中頃から13世紀中頃にかけてイギリスのコモンローもローマ法の影響を相当受けた。しかし、その影響は、論理・方法論・精神の面にとどまり、実体面ではほとんど影響を受けなかった(PP80)。
(注6)メイトランドによれば、ローマ法は地位(status)の法であるのに対し、コモンロー(ゲルマン法)は個人(individual)の法であって、後者は、家父長制ないしイエ制度の不存在・法の支配(ちなみに、国王も法に従う)・封建制の不存在(領主裁判権や領主への軍役義務等の不存在)・個人の平等(男女平等・親子平等・嫡出子と庶子の平等・血統による貴族や農奴の不存在)・契約/遺言の自由・(土地を含む)個人的所有権の絶対性、等において、前者と異なる(PP41??74)。
法王インノケンティウス(Innocent)3世によって導入された異端審問制度(inquisitory process) による異端弾圧が、1150年から1300年頃にかけて欧州で猖獗を極めたことは、(イギリスではそもそも異端が出現すらしなかったことに鑑みれば、)このローマ法の再継受の必然的帰結であると言えるのではないか、というのがメイトランドの見解です(PP81??82)。
さて、次に後者についてです。
アングロサクソン文明と欧州文明の違いとその違いがどのように生じたかは、以上の説明の通りであるところ、メイトランドは、個人主義だけでは遠心力が働いて社会は瓦解してしまうはずなのに、どうしてアングロサクソン社会は瓦解しないのか、という問題を提起し、アングロサクソン文明固有の信託の思想こそ、アングロサクソン社会に求心力を与えている、と考えたのです。
(続く)