太田述正コラム#1411(2006.9.18)
<法王の反イスラム発言(続々)>

1 ついに法王が直接「謝罪」

 9月17日、法王ベネディクト16世は、ついに、あの講話について、「イスラム教徒の感情を害すると見なされたところの、私がレーゲンスブルグ大学で行った講話中の数行が、いくつかの国で引き起こした反応について、大変申し訳ないと申し上げたい。(I am deeply sorry for the reactions in some countries to a few passages of my address at the University of Regensburg, which were considered offensive to the sensibility of Muslims.These in fact were a quotation from a Medieval text, which do not in any way express my personal thought.)(関連部分の全文:
http://www.nytimes.com/aponline/world/AP-Pope-Muslims-Text.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
。9月18日アクセス(以下同じ))と、ついに直接「謝罪」しました。
 これは、およそ歴代のローマ法王が、自分自身の言動について行った初めての「謝罪」であり(
http://www.nytimes.com/2006/09/17/world/europe/17cnd-pope.html?ei=5094&en=0d4754e0f8567959&hp=&ex=1158552000&partner=homepage&pagewanted=print
)その限りにおいては、評価されるものの、これは、日本で不祥事を起こした人物がよく使う「世間をお騒がせして申し訳ない」という言葉と同工異曲の、不祥事を犯したこと自体は認めていない(
http://www.ft.com/cms/s/0d8cdda2-465e-11db-ac52-0000779e2340.html
)逃げ口上であって、前日の法王庁官房長による声明の範囲を越えるものではなく(
http://www.guardian.co.uk/pope/story/0,,1874914,00.html
)、これで騒ぎが収まるかどうかは疑問です。
 それどころか、法王が、今回の謝罪を含む説教の別の箇所で、今度はユダヤ人(ユダヤ教徒)の神経にさわる引用を行ったことで、改めてその無神経さに呆れる声がユダヤ教関係者からあがっています。
 法王は、どうしてキリスト教は十字架という処刑用具をシンボルにしているのか、という問いかけを行い、よりにもよって、新約聖書のパウロの福音書から「われわれは磔にされたキリスト・・ユダヤ人にとっては醜聞であり(ユダヤ教徒以外の)異教徒にとっては愚行・・について教を説く」(注)という一節を引用したのです。
(以上、http://www.guardian.co.uk/pope/story/0,,1874891,00.html
、及びhttp://www.guardian.co.uk/pope/story/0,,1874914,00.html上掲による。)

 (注)法王が引用した聖書のイタリア語訳の該当箇所からの英語直訳を邦訳したもの。英語訳の聖書では、文章の全体は’We proclaim Christ nailed to the cross; and though this is an offence to Jews and folly to Gentiles, yet to those who are called, Jews and Greeks alike, he is the power and wisdom of God’(first letter to the Corinthians)となっている。

2 イスラム世界のその後の反応

 上記「謝罪」を受け、エジプトのモスレム同朋会からは、評価する声と真の意味での謝罪を求める声が出ています。
 また、トルコの外相は、法王が11月に予定しているトルコ訪問について、「われわれの立場からは、法王訪問の期日を変更する理由はないと考える」と述べましたが、閣僚の一人は法王に真の意味での謝罪を求めました。
 しかし、評価する声もあがったのは、この二カ国だけであり、イランでは聖地コム(Qom)を含む全土で法王を非難するデモが行われ、イラン政府は、モロッコに次いで自国の駐バチカン大使を本国に召還しました。パレスティナのヨルダン川西岸では、更に二つの教会が火をつけられました。
 一番ひどいニュースは、ソマリアの首都モガジシオで、看護士教育のために現地に長期滞在していた65歳のイタリア人のカトリック尼僧が、護衛一人とともに銃撃されて死亡したことです。
 (以上、
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-091706pope,0,2166489,print.story?coll=la-home-headlines
http://www.guardian.co.uk/pope/story/0,,1874853,00.html
及びhttp://www.guardian.co.uk/pope/story/0,,1874914,00.html前掲による。)

3 変化の兆しが見えるガーディアンの論調

 ガーディアンは、上述したように、また、下掲のコラムのように、なおも法王バッシングを続けています。
 このコラム(
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,1874786,00.html
)では、問題となっている法王の講話は、十字軍の時に始まったイスラム教への偏見・・キリストを「殺した」ユダヤ人への偏見と分かちがたく結びついている・・に根ざすものであるとし、最初の十字軍の一部部隊はライン渓谷沿いのユダヤ人集落でユダヤ人を虐殺するところから遠征を始め、1099年のエルサレム攻略作戦ではエルサレムのイスラム教徒とユダヤ人を合計3万人も虐殺したこと、それ以来、キリスト教徒はイスラム教徒とユダヤ人を、自分達がそうであって欲しくないと思っていることないしはひょっとして自分達がそうではないかと疑っていることが投影されたイメージで見てきた、と指摘するのです。
 その上でこのコラムは、これは偏見以外のなにものでもないのであって、20世紀に至るまで、イスラム教はキリスト教よりはるかに寛容で平和的な宗教だったのであって、コーランではキリスト教徒やユダヤ人に対し、強制的に改宗させることを禁じており、実際強制改宗は行われなかったこと、ムハンマド逝去後のペルシャとビザンツ帝国の征服は、宗教的というよりは政治的理由から行われたものであること、イスラム世界におけるこのところの過激主義と非寛容主義の出現は、パレスティナ問題、中東における専制国家の跋扈、欧米のいわゆる「ダブルスタンダード」、といったやっかいな政治的諸問題によって触発されたものであることを指摘し、法王の古くさい偏見を厳しく咎めています。
 その一方で、注目されるのは、初めて騒ぎを沈静化させようとする論説(
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,1874951,00.html
)が出現したことです。
 この論説は、イスラム世界には法王庁と米ブッシュ政権を同一視するむきもあるけれど、法王庁は対イラク戦を始めもろもろのイッシューでブッシュ政権批判を行ってきており、このような見方は誤りであること、法王がキリスト教がイスラム教より優れていると考えるのは立場上当然であること、暴力により改宗を強制することが誤りであることはコーランにも書かれていること、イスラム過激派はイスラム教徒全体の中の少数派にすぎないことは自明であること、等を強調し、イスラム教徒に対して冷静になるよう求めています。