太田述正コラム#1414(2006.9.21)
<重村智計氏の本(その3)>
(前回書き忘れたが、国家安全保衛部幹部のミスターXは、同部が拉致被害者の管理を担当している(173頁)という点だけとっても、対日交渉責任者として適任だった。)
4 日本の政治家の無能・堕落
この本を日本の政治家の無能・堕落ぶりを日本の対北朝鮮外交を例にとって俎上に載せた本ととらえれば、結構読ませます。
小泉首相の話にしぼって、私の感想ともどもご紹介しましょう。
本に出てくる小泉首相がらみの事実関係の概要は次のとおりです。
2002年4月:1月29日の田中真紀子外相更迭後、小泉首相の支持率が79%から40%ぎりぎりまで急落したため、小泉首相は、その打開をねらって日朝首脳会談実現を決意し(57??58、187頁)、ある日本人を通じてその意向を金正日に伝えた(189頁)。伝えた際、拉致被害者全員の安否情報を出すように求めた(191頁)。たまたま、金正日の方も当時、1月30日にブッシュ米大統領が一般教書演説で北朝鮮をイラク・イランと並ぶ「悪の枢軸」と名指ししたこともあって米国から軍事攻撃を受ける懼れと、韓国で保守派の大統領が2002年12月の選挙で当選し金大中政権の太陽政策がご破算になる懼れにおののいており、日本を籠絡するとともに日本から経済協力を引き出そうと図った(129、190??191頁)。
その後、公式ルート(外務省-?北朝鮮当局。当初は田中局長–ミスターX)を通じ、日朝正常化の時期を2003年1月とする、日本側は1兆円以上(?)の経済協力を行う、北朝鮮は拉致被害者の安否情報を明らかにする、というラインで事実上の合意が成立した(35、130、162頁)。
9月3日頃:上記日本人を通じ、日朝首脳会談の際、拉致被害者全員の安否情報を出して欲しい、さもなければ小泉内閣は倒れる、と金正日に伝えた。
9月10日:上記日本人を通じて、金正日から、日朝首脳会談の際、拉致被害者全員の安否情報を出すとのメッセージが寄せられた(36、144頁)。
9月12日:上記日本人を通じて、同日行われた日米首脳会談での米国政府の北朝鮮の核問題に対する厳しい姿勢について金正日に伝えた(36頁)。
9月17日:平壌で第一回日朝首脳会談が行われた。拉致被害者は5名生存、8名死亡と伝えられた(147頁)。
その後、日本の世論が沸騰し、公式ルートで(?)5名の1週間から10日の里帰りを求めたところ、北朝鮮当局はそれを受け入れ、この5名は帰国した(151頁)。
10月24日:日本政府は、この5名を北朝鮮に戻さない方針を決定した。これで田中局長–ミスターXルートは閉鎖された。(161??162頁)
2004年4月頃:7月の参議院選挙の前に年金問題等で落ち込んでいた(朝日後掲)支持率を上げる必要があった小泉首相は、首相秘書官?朝鮮総連幹部、のルートで再訪朝の意向を北朝鮮当局に伝えた(165??166頁)。小泉首相からは拉致被害者の家族の来日を求め、北朝鮮側はその見返りを求めた結果、日本政府は食糧(米)支援25万トン等を行うことになった(166??167頁)。
5月22日:平壌で第二回日朝首脳会談が行われた。金正日は、格下の出迎え・三流の会談場所・ジェンキンス氏を小泉首相自らに説得させる、等の意趣返しをして、第一回首脳会談の時の約束等を守らなかった小泉首相を辱めた。
結局地村夫妻と蓮池夫妻の家族計5名の来日だけしかその時点では実現しなかったため、日本の世論は再び沸騰し、日本政府は約束の半分の12万5,000トンの食糧支援等しか行わなかった。(曾我ひとみさんの家族であるジェンキンスさんら3名の来日はしばらく後に実現した。)
また、前代未聞のことだが、その後開かれた朝鮮総連の大会に「自民党総裁」の名前で小泉首相は挨拶文を送った。(以上、166??171頁)
2006年4月末:ブッシュ米大統領は、拉致被害者家族の横田めぐみさんの母、横田早紀江さんと会見し、暖かい言葉をかけた。(小泉首相は、このようなことを拉致被害者家族や帰国した拉致被害者に対し、一切行っていない。)(232頁)。
さて、以上がすべて事実であるとして、小泉首相は、最も大事な節目で、何度も公式ルートを使わず、独自の二種類の非公式ルートで北朝鮮当局に連絡をとる、という異常な行動をとっています(注7)。
(注7)重村氏は、第二回首脳会談の前のことだけを問題視している(249頁)が、氏があれほど外務省を通じた交渉を推奨していることからすれば、一貫性のないことおびただしい。
これは、自分の内閣の存続や自民党の選挙での勝利のため、すなわちいわゆる「政局」のため、であることを匂わせつつ、拉致問題等の進展を金正日に懇願するというメッセージの内容から、公式ルートに載せることがはばかれたからだと私は思います。
それどころかこの経緯を見ると、小泉首相は、拉致問題を政局のために利用するという発想だけしか持ち合わせておらず(注8)、ブッシュ大統領とは違って、北朝鮮の核開発に対する危機意識はもとより、拉致被害者へのシンパシーも、拉致問題を人権問題として追及し北朝鮮の体制変革を図る手段としようという発想(注9)も全くなかったことが透けて見えてきます。
(注8)このことは第二回首脳会談の直後に、コラム読者の鈴木方人さんが鋭く指摘されている(コラム#360参照)。
(注9)重村氏は、米国政府によって今や拉致問題の解決は日米同盟の共通の価値(目標)になったと言う(232頁)が、ちょっと違うのではないか。横田さんとの会見の場には、脱北者も呼ばれていた(コラム#1207)ことからすれば、北朝鮮による人権蹂躙の追及は米国による北朝鮮体制変革の手段となった、ととらえるべきだろう。
しかも、申し上げるまでもないことながら、拉致問題での小泉「外交」の大勝利は、米国による対北朝鮮恫喝政策の副産物として棚ぼた的に転がり込んできたものにほかなりません。
小泉首相は、大部分の自民党系の政治家とは違って、クリーンではあるけれど、いわゆるステーツマンならぬポリティシャンの典型であることが、改めてよく分かりますね。
そんなポリティシャンに5年半もの長い任期と、戦後二番目に高い在任中平均支持率を与えた(
http://www.asahi.com/politics/naikaku/TKY200608280314.html
。9月15日アクセス)日本の有権者のおめでたさには、ただただため息をつくほかありません。
(完)