太田述正コラム#1428(2006.10.2)
<英国の悪人達(その2)>
(BBC History Magazineが、昨年末に11世紀から20世紀まで、各世紀ごとに英国の最大の悪人を一人ずつ、計10人を選んだ中から、前回(コラム#1025)には、11世紀と12世紀の最大の悪人をご紹介しました。ちなみに、11世紀はイギリス国王を何度も裏切った男であり、12世紀は法王の側に立ってイギリス国王に敵対した男でした。
今回は、一番直近の20世紀における英国の最大の悪人、と名指された人物をご紹介することにしましょう。)
(3)20世紀:Oswald Mosley
オズワルド・モズレー(Sir Oswald Ernald Mosley, 6th Baronet。1896??1980年)は、18世紀以来のイギリス貴族の家に生まれ、有名なパブリックスクールであるウィンチェスター校から陸軍士官学校を経て第一次世界大戦で陸と空を舞台に活躍し、戦後、1918年から1924年まで、そして1926年から1931年まで、途中で保守党から労働党へ鞍替えしつつ下院議員を勤めます。
労働党内閣の下で閣外相であった1930年に彼は、不況克服のために、政府支出の増大・輸出振興・産業政策の実施等を内容とする包括的な政策(注1)を採用するように提案しますが、容れられず、閣外相を辞任します。
(注1)この政策は、当時の日本政府が採用した政策・・その結実が日本型政治経済体制・・に極めて近いことは興味深い。
モズレーが悪名をはせるようになるのはそれ以降です。
1932年に、彼はイタリアでムッソリーニ(Benito Mussolini)に会って感銘を受け、英国ファシスト連合(British Union of Fascists=BUF)を創設し、青年メンバー達に黒シャツを着せて物議を醸します。
また、モズレーは、1936年に2度目の結婚式をナチスドイツのゲッペルス(Joseph Goebbels)の自宅でヒトラー(Adolf Hitler)等をゲストに執り行います。
モズレーは、大英帝国をそっくりそのまま欧州と統合させたいという夢を抱いており、ナチスドイツとの平和共存を追求したのです(注2)。
(注2)彼は、「欧州/大英帝国を勢力圏とする英国」、「アジアを勢力圏とする日本」、及び「アメリカ大陸を勢力圏とする米国」、という三つのアウタルキー政治経済圏が鼎立し、互いに協力しつつソ連が率いる共産主義勢力を封じ込める、という構想を抱いていた。日本が先の大戦で苦し紛れに掲げた大東亜共栄圏構想を先取りしたような構想であり、これも興味深い。
同じ年の10月4日に彼は、ロンドン東部(East End)のユダヤ人の多い地域でBUFのデモを行おうとしましたが、この地域と全国から集まった30万人以上のユダヤ人・共産主義者・労働組合員・労働党員・アイルランド系カトリック教徒・労働者等が、スペイン内戦における人民戦線側のスローガンである「No Pasaran=通るな!」を唱和しつつ、バリケードをつくったり、石を投げたりしてこの警官隊に守られたデモを妨害し、結局モズレーはこの地域でのデモを断念します。
これをケーブル街の戦い(Battle of the Cable Street)と言い、英国における反人種差別・反ユダヤ人差別運動上の金字塔とされています。
1940年になると、制定されたばかりの戦時緊急法令に基づき、BUFは解散させられ、モズレーは妻や他のBUF幹部とともに逮捕されます。そしてモズレーは、裁判を受ける権利を奪われたまま拘禁生活を送り、1943年に病気を理由に釈放されます。
戦後、彼は長い余生を、途中からパリに「亡命」するような形で送り、1980年に亡くなります。
(以上、
http://www.guardian.co.uk/farright/story/0,,1884440,00.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Oswald_Mosley、
http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/PRmosley.htm、
及び、かなりアブナイ典拠である
http://www.ihr.org/jhr/v05/v05p139_Row.html
(いずれも10月1日アクセス)による。)
英国人は、とにかく欧州由来の「イズム」も、欧州につきものの人種差別やユダヤ人差別も大嫌いであることが、良く分かりますね。
(続く)