太田述正コラム#1437(2006.10.7)
<筑駒の学校説明会で考えたこと>

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 近視の通電治療について、以前(コラム#1240、1241、1246、1247)ご紹介したところですが、この治療の推進者である、田園調布の眼科医の石川まり子さんが、「子どもを近視にさせない方法教えます」という小冊子(発行:有限会社ワキタメディカルサービス。600円)を出されたのでご関心ある方はどうぞ。私が通電治療をインターネットで取り上げているというので、先週、この小冊子を石川先生からいただきました。通電治療と生活習慣の改善により、12歳の息子の視力(両眼)は、今年5月時点で0.15まで落ち込んでいたのですが、0.5、(通電直後は0.8弱)まで回復してきています。
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 先週に引き続き、本日も中学の学校説明会に行ってきました。
 今をときめく筑波大駒場(筑駒)の学校説明会です。
 実名を出すのは、筑駒は日本を代表する中高一貫校の一つで、「トップリーダーを育てる教育の実験的実践校」(説明会配付資料)であって、しかも、公立(国立)であってわれわれの税金で基本的に維持されていることから、一体そこでどんな教育をしているのか、皆さんにも関心があるだろうと思ったからです。
 私の全般的印象は、この筑駒の行く手には黄信号が灯っている、というものです。
 まず、校長が学校説明会に登場しないことに違和感を覚えました。
 校長は筑波大学の教授であって、中学と高校にそれぞれ1人の副校長が置かれているので、副校長で対応した、ということのようです。しかしこの校長は、入学式の時でも何でも必ずご自分の専門のカビの話をされる、という話を聞くと、ひょっとしてこの校長は研究者としては実績のある方なのかもしれないけれど、一貫校の校長として、中学と高校を通じた総合的教育理念を必ずしもお持ちでないため、説明会に出席されないのではないか、というあらぬ疑念を抱いてしまいました。
 副校長の話を聞いて、この疑念は、筑駒には教育理念がないだけではなく、そもそも筑駒では、生徒の資質の高さをよいことに、(少なくとも学業面では)教育が行われていないのではないか、という深刻な疑念まで発展しました。
 副校長は、大略次のような話をされました。(一部、説明会配付資料で補った。)

 「青年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士は、出来たばかりの札幌農学校で、自律心・独立心を持ち個の確立した人間、すなわち紳士を育てる全人教育を行おうとした。
 1952年の五月祭の際、当時の東大総長矢内原忠雄は要旨、「明治の初年においては日本の大学教育、就中官学教育には二つの大きな中心があって、一つは東京大学で、一つは札幌農学校(後の北海道大学)だった。札幌から発した自由・民主主義教育が主流とならず、東大から発した国家主義教育、あるいは国体論、皇室中心主義が主流となった。それが太平洋戦争を引きおこした。今こそ札幌農学校から発した教育を主流にしなければならない」と述べている。
 キリスト教徒であったクラーク博士につながる内村鑑三や新渡戸稲造から強い影響を受けた前田多門、安倍能成、田中耕太郎、森戸辰男、天野貞祐らが、戦後、昭和20年から27年にかけて、相次いで日本の文部大臣となり、教育の大改革を行った結果、日本で初めて自由・民主主義教育が定着したのだ。
 札幌農学校の次にできた駒場農学校の農園を筑駒は引き継いでいる、ということもあるが、戦後発足するにあたって、筑駒は全人教育を掲げ、学業・学校行事・クラブ活動の3つの教育機能の充実を図ってきた。
 すなわち、筑駒の教育理念は、このクラーク博士の教育理念と同じである、と私は思う。

 さて、副校長の話の最大の問題は、クラーク博士の教育理念と筑駒の教育理念の同一性に触れた部分は、副校長の個人的見解であるという点です。また、矢内原の札幌農学校評価はあくまでも矢内原の個人的見解なのに、副校長はあたかもこれが絶対的真実であるかのように引用している点も問題です。更に言えば、戦後初期の文部行政の評価も、矢内原発言に引きずられた副校長の個人的見解に過ぎません(注)。

(注)私自身は、イギリスのパブリックスクールを見れば分かるように、「リーダーを育てる教育」には軍事素養(軍事リテラシー)教育が不可欠であると考えており、戦前の日本の教育制度の最大の問題点は、「リーダーを育てる教育」の官僚教育(旧制高校。非軍事だけの教育)と軍人教育(陸士・海兵。軍事だけの教育)への分断にあったと考えている(拙著「防衛庁再生宣言」参照)。だから、筑駒の教育は、「学業」だけを重視していない点では評価できるものの、「リーダーを育てる教育」、あるいは「全人教育」としては、依然偏頗なものであると思うのだが、ここでは詳述しない。

 まず、クラーク博士の教育理念はプロテスタンティズムと個人主義に立脚したものであり、私が思うに、だからこそ、札幌農学校の教育理念はこの農学校を一つの源流としてできた北海道大学には受け継がれなかった(配付資料)のであり、筑駒の教育理念もまた、プロテスタンティズムと個人主義に立脚したものではありえないことから、クラーク博士の教育理念と筑駒の教育理念との類似性は、表見的なものに過ぎない、ということです。 また、矢内原発言や戦後直後の文部行政の評価についても、安倍能成が矢内原的に言えば、国家主義教育のメッカであったはずの(旧制)第一高等学校の校長を勤めた人物であった(http://bbs2.nazca.co.jp/cgi-bin/bbs-c/bbs_del.cgi?id=dozi&cmd=d1。10月7日アクセス)こと一つとっただけで、崩れてしまいます。
 実際、副校長は、クラーク博士の教育理念と筑駒の教育理念の同一性に気付いたのは、つい最近、たまたま札幌に会議で赴いた時に、札幌農学校関連の展示を見学をした際だったと話しています。
 私が言いたいのは、個人的見解を、しかも大変失礼ながら、思いつきに過ぎない見解を、学校説明会のような場で述べるのはいかがなものか、ということです。
 これに比べれば、校長の、公式の場での(科学的裏付けのある)カビの話の方がマシですが、いずれにせよ、個人的関心事を場違いの公式の場で話すという校長が存在することが、副校長がこのような話をする伏線になっている、と私は感じたのです。
 現に、副校長や教務部長の話によると、各教科の先生方は、教科書はほとんど使わずに、ご自分の教えたいことをご自分の方法で自由に教えておられるようです。ここから、生徒が幸運ならば、校長のカビの話同様、教師の蘊蓄に接することができるけれど、生徒が不運ならば、副校長の教育理念の話同様、思いつきを聞かされることが想像でき、私は生徒達が可哀想になってきました。
 副校長以外で話をした先生方の中に、話がヘタなだけでなく、語尾が聞き取れない、という教師として首をかしげざるを得ない人物がいたことも気になりました。
 筑駒が日本を代表する中高一貫校の一つになったというのは、東京都における学校群制度の導入がもたらした公立中高校の地盤沈下と私立中高校、就中中高一貫校人気の上昇に伴った、公立(国立)中高一貫校なるがゆえのバブルに過ぎなかったのではないか、という印象を抱いて、帰途につきました。