太田述正コラム#12257(2021.9.10)
<平川新『戦国日本と大航海時代–秀吉・家康・政宗の外交戦略』を読む(その23)>(2021.12.3公開)

 「<なお、>ソテロが家康のメキシコ副王宛親書を改竄した可能性が高い・・・。
 ・・・村上直次郎<(注41)>氏は、家康親書の日本文には存在するもののスペイン語訳からは削除されている文言があると指摘している。

 (注41)1868~1966年。一高、帝大文(史学)卒、東大講師、東京外国語学校校長、東京音楽学校校長、台北帝大文学部長、上智大学長、等。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E7%9B%B4%E6%AC%A1%E9%83%8E

 その削除された文言とは、家康親書の根幹をなす次の一節だった。
  「釈典に曰く、縁無き衆生は度し難し。弘法を志すにおいては思いて止めるべし。これを用いるべからず。ただ商舶来往して売買の利潤、偏えにこれを専らとすべし」・・・
 これについて松田毅一<(注42)>氏は、「縁無き衆生は度し難し」<(注43)>という文言は訳出がむずかしかったかもしれないが、「弘法」すなわち布教はやめよとか、商船のみ来舶せよという文言は故意に記載しなかったことが明らかと指摘している。・・・

 (注42)きいち(1921~1997年)は、上智大文(史学)卒、同大院研究生修了、立教大博士(文学)、関学大講師、スペイン・ナバラ大客員教授、清泉女子大教授、京都外大教授、ドイツ・ケルン大客員教授、京都外大定年退職。「菊池寛賞、毎日出版文化賞(フロイス『日本史』の翻訳に対して)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%AF%85%E4%B8%80
 (注43)「この言葉の出典は、実は仏典ではなく、江戸時代の1743年・・・に成立した『諸芸袖日記(しょげいそでにっき)』と題する浮世草子」
http://www.seimei-in.com/wp/b2299/?
 「「浮世草子・諸芸袖日記(1743)四「『世界の者が皆盲で埒が明きませぬ』と云うて戻せば、〈略〉『エエ縁(エン)なき衆生(シュジャウ)は度(ド)しかたきぢゃナア』」・・・
 すべてのものに慈悲の心で接する仏でも、仏縁のないものを救うことはむずかしい。転じて、どの世界でも結局縁のないものに理解させたり、納得させたりすることはできない。
 [使用例] 縁なき衆生は度し難しとは単に仏法のみで言うことではありません。段違いの理想を有して居るものは、感化してやりたくても、感化を受けたくても到底どうすることも出来ません[夏目漱石*文芸の哲学的基礎|1907]」
https://kotobank.jp/word/%E7%B8%81%E3%81%AA%E3%81%8D%E8%A1%86%E7%94%9F%E3%81%AF%E5%BA%A6%E3%81%97%E9%9B%A3%E3%81%97-447241
 諸芸袖日記は、「多田南嶺<作>の・・・社会観察の皮肉さと奔放な表現の佳作」
https://kotobank.jp/word/%E3%80%8A%E9%8E%8C%E5%80%89%E8%AB%B8%E8%8A%B8%E8%A2%96%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%80%8B-1292345
 多田南嶺(1698~1750年)は、「摂津国多田(兵庫県川西市)の出といい,早く吉田,垂加,伊勢などの諸神道を学んだ。・・・神道では『中臣祓古義』『神明憑談』,故実では『職原鈔弁講』,歴史では『旧事記偽書明証考』,語学では『以呂波声母伝』,歌学では『和歌物語』などの著があり,随筆『ぬなはの草紙』『南嶺子』『秋斎間語』『南嶺遺稿』などもその学問の成果である。文献考証をもっとも得意とし,特に『旧事記偽書明証考』は,当時の神道界や歴史学界ではほとんど聖典視されていた『旧事本紀』が偽選であることを考証したものであり,南嶺を一躍有名にした。・・・非合理的だった神道学説に,考証という合理的方法を導入したことにおいて,賀茂真淵や本居宣長などの復古神道の土壌を作ったともいえよう。晩年,生活のために八文字屋に請われて浮世草子を執筆したが,知的要素を加味したその作風は,のちの談義本や読本の先駆とも評価されている。」
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E5%8D%97%E5%B6%BA-93399

⇒この家康親書の起案者が誰なのか定かではありませんが、この親書がこの言い回しの初出だった可能性があるのと、この時、既に、漱石の与えた意味に近い意味も持つ、二義性のある言い回し・・この場合は、日本人にキリスト教を理解させたり納得させたりすることはできない、と、日本人は既に悟っているのでキリスト教はお呼びではない、・・になっているとも言え、ここは確かに翻訳不可能だったかもしれませんね。(太田)

 ソテロが改竄したことは、ほぼ間違いない。
 家康の意図は、スペイン側に正確に伝えられなかったのである。
 あえてソテロの立場に立った言い方をすれば、改竄してまでもなんとか両国の通商を実現したかったということだろう。・・・」(172~173)

⇒呆れるのは、家康が、部下等、信頼できる、(スペイン語なら一番いいけれど、)ポルトガル語ができる者に翻訳させた親書を日本語の親書と併せて、常長に持たせる、ということをしなかったことです。
 信長や秀吉だったら、こんな迂闊なことは決してやらなかったでしょう。
 なお、親書「書き換え」問題が起こった、唐入りの時の話を、次のオフ会「講演」原稿に記す予定です。(太田)

(続く)