太田述正コラム#1455(2006.10.18)
<頑張れ朝鮮日報>

1 始めに

 これまで、朝鮮日報へのオマージュのコラムを書いたことが何度かあります(コラム#1160、1206??1208)が、本篇もそうです。

2 決戦を挑む朝鮮日報

 朝鮮日報は、10月17日付に論説委員のコラム(社説と考えて良い)(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/17/20061017000063.html
。10月18日アクセス)を掲載しました。
 このコラムは、「今や、韓国人はハッキリした選択をするべきときが来た。国際社会に背を向けて金正日・・政権と運命を共にするのか、それとも金正日政権を見捨てて国際社会とともに歩んでいくのか。」という挑発的な言葉で始まります。
 そして、「国連安全保障理事会の北朝鮮制裁決議は、一言で言って「韓半島(朝鮮半島)の管理は金正日政権はもちろんのこと、盧武鉉政権にも任せられない」という、全世界の一致した宣告だった。・・韓半島(朝鮮半島)は「金正日??金大中??盧武鉉政権内左派」が団結した一団と、「親大韓民国」勢力と国際社会が団結した一団の間で、死ぬか生きるかの戦いを繰り広げている・・金剛山にも行くべきではないし、開城工業団地に投資してもいけない。・・「親大韓民国」勢力はこの際、「金正日のいない北朝鮮」「金正日政権ではない北朝鮮」の生き残りのための条件を探ってみるべきだ。ヒル次官補の言葉通りであれば、金正日政権の首を締めていけば、ある日突然変化が訪れることもありうる。金正日政権に従うのか、これを制圧するのか、すべては国民の選択にかかっている。」と続きます。
 いわずと知れた、これは、ノ・ムヒョン政権及び金正日政権と戦い続けてきた朝鮮日報の、この二つの政権に対する最終決戦に向けての雄叫びです。
 私としても、心からエールを送りたいと思います。

3 日本擁護に努める朝鮮日報

 「次期国連事務総長に任命された韓国の潘基文交通商相は15日、ニューヨーク市内で日本の報道機関と会見し、日韓の歴史問題に関しては「日本の政府指導者は謙虚さを持って、真摯・・にこの問題に取り組むべきだと考える」と述べ、「過去の歴史の傷を癒やすために行動しなければならないのは韓国の国民ではない。日本国民・政府だけが靖国神社参拝や教科書問題を含むすべての歴史問題に責任を持って対処することができる」と関係改善に向けた日本側の取り組みは不十分だとの認識を示した。日本固有の領土である竹島・・問題についても「日韓両国、特に日本政府が、この過去の問題を克服していないのは不幸なことだ」と日本の対応に責任があるとの見方を示<した>」という産経新聞の16日付の記事(
http://www.sankei.co.jp/news/061016/kok006.htm
。10月17日アクセス)を読んで目を剥いたのは、私だけではありますまい。
 いくらまだ韓国のノ・ムヒョン政権の外相であるとはいえ、次期国連事務総長としては、あるまじき発言だからです。
 この潘発言を、朝鮮日報が翌日(17日付)の電子版で全く取り上げなかったのはさすがだと思っていたら、17日付で面白い社説(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/17/20061017000033.html
。10月18日アクセス)が同紙の電子版に載りました。
 すなわち、「大統領府は今月13日に次期国連事務総長に選出された潘基文・・外交通商部長官の後任を、来月中旬ごろに任命する予定だという。潘長官は今後1カ月にわたり大韓民国の外交部長官と次期国連事務総長という二つの身分を持つことになる。 こうした大統領府の人事方針は非常識なものと言わざるを得ない。大韓民国外交部長官と国連事務総長の役割は、時として方針や利害が相反する可能性がある。長官としての任務を遂行しようとして国連事務総長の中立性を害する可能性もあれば、国連事務総長としての滑り出しに最善を尽くすため、大韓民国外交部長官としての機能を果たせなくなる可能性もある。」というのです。
 そして、具体的な利害相反例として、「潘基文次期国連事務総長は14日、米国のテレビ局のインタビューに対し「北朝鮮が安保理決議を履行しない場合、国連憲章の規定に従ってさらに強硬な措置を取る」と語った。太陽政策に執着してきた・・ノ・ムヒョン・・政権の外交部長官としては、想像できなかった発言だ。」を挙げています。
 しかも、この社説のタイトルは、「潘基文外相を一日も早く解任せよ」です。
 読み方によっては、この社説は、上記産経記事に載った反日的潘発言を批判しているとも言えるのではないか、いや、掲載のタイミングから言ってきっとそうに違いない、と私は思うのです。
 半信半疑の読者向けに、もっとはっきりとした親日記事をご紹介しましょう。
 同紙のニューデリー特派員による17日付の記事(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/17/20061017000029.html
。10月18日アクセス)です。
 そのさわりの部分は次の通りです。

 「日本とインドとの歴史的友好関係は100年にもなる。植民地時代に「韓国はアジアのともしび」と激励したインドの詩人ラビンドラナート・タゴールの一言しか語れない韓国とは異なる。韓国が日本の植民地となるきっかけになった1904-05年の日露戦争の際、日本がロシアを打ち負かしたという知らせを聞き、インド人たちは喜んだ。アジア国家がヨーロッパ国家に勝つとは。英国の植民統治下にあったインドの人々は、その時日本に“希望”を見いだした。第2次世界大戦のとき、日本はインドの英国に対する武装闘争を支援した。インドの武装独立闘争家スバス・チャンドラ・ボースが1944年、シンガポールでインドに進撃する際に動員した兵力は、日本の協力を受けて引き渡された英国軍所属のインド人捕虜たちだった。一方、日本人は1945年、戦争直後に開かれた東京裁判当時にあるインド人判事が主張した裁判批判を今でも忘れていない。ラダ・ビノード・パル判事は法廷の正当性に疑問を提起し「起訴されたすべての人は無罪であり、即刻釈放すべき」と主張した。日本は、歴史的な関係に基づき、<インドと>安全保障はもちろん、経済的利害関係の構築に力を注いでいる。」

 日本人の多くにとっては常識の部類に属する話ではありますが、このような話を反日感情の強い韓国人向けにあえて書いた朝鮮日報の記者、というより、このような記事を書くようにすべての同紙記者に指示していると思われる朝鮮日報の最高経営陣の見識、に心から敬意を表そうではありませんか。