太田述正コラム#12485(2022.1.2)
<皆さんとディスカッション(続x5037)>
<zrSI5DWo>
日本は属国というけど、韓国も属国の歴史長いよね。
韓国が独立国家なら韓国の歴史は日本のリブートの参考にならなかったりするのかな?
<太田>
私見では、新羅は日本文明・・現在ならプロト日本文明とするべきだった・・から漢人文明に乗り換えた(コラム#9610)ところ、このことに気付いた毛沢東が、漢人文明から日本文明への切り替えだって可能という発想を抱いたんじゃなかろうか。
で、いずれも統一新羅の後継国家であるところの、北朝鮮はともかくとして、韓国は、心理的にはいまだに支那属国意識が抜けきれておらず、一、それが功を奏して中共の日本文明総体継受戦略を採用するに至るか、二、それとも意識の面でも独立を達成するか、三、はたまた現在の状況のまま推移するか、一体どうなるか、だが、恐らくは、三で、現在の状況のまま推移し、自然に名実とも中共(支那)属国化するのでは?
もっとも、その頃には、人口減で、韓国そのものが存続しているかどうか、分からないが・・。
いずれにせよ、こんな話、プロト日本文明に先祖返りした日本の今後の参考にはなりそうもないな。
<太田>
コロナウィルス「問題」。↓
<当然?↓>
「・・・死亡・・・1万8392人 前日比0人・・・」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all/
それでは、その他の記事の紹介です。
そりゃそうだろな。
私も、ながら視聴で、しかも、始まりも終りもカットだったからなあ。↓
「紅白視聴率が過去最低34.3%・・・」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all/
全然知らんが、伊豆山地滑り事件がらみの熱海の旅館の話なので・・。↓
「若女将、元AKB48の島田晴香さん 「広告塔」の覚悟・・・」
https://www.sankei.com/article/20220101-SE76OHOBVRNDPDNFR3YUDKIF3Y/
歴史モノ記事としては珍しく面白い。↓
<それにしても困ったちゃんの孝明天皇。でも、そのおかげで、歴史が早く進んだのよね。↓>
「・・・ 将軍の上洛が避けられなくなった今、いかにすれば、幕府が朝廷からの無理な攘夷を押し付けられずに済むかを、大久保はひたすら思案していた。
やがて「将軍が上洛する前に、尊王攘夷に抗う有力者たちで話し合い、方針を決める」という、大久保プランが実行に移される。
<この先頭の人物こそ、維新のキーパーソン。↓>
近衛忠熙、中山忠能、松平慶永らの要請を受けて、久光は上京。・・・
生麦事件<の後、>・・・当初、薩摩藩は幕府から「イギリスは次の3つの要求を行っている」と伝えられていた。
「償金を差し出すべし」
「三浪(久光)の首級を差し出すべし」
「薩州へ軍艦を指向けるべし」
目を引くのは2つ目の要求である。久光の首を差し出すことなどできるわけがない。退路を断たれた薩摩藩は、イギリスを迎え撃つべく、実弾を用いた砲撃訓練を開始する。
だが実は、イギリスからの要求を日本語に訳すときに、慌てて訳したせいか、幕府の首脳が意味を取り違えてしまっていた。イギリスが処刑を望んだのは生麦事件を起こした犯人であり、久光の首など求めてはいなかったのである。
<翻訳担当者は福澤諭吉だったとされる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E8%8B%B1%E6%88%A6%E4%BA%89
が、彼が誤訳したり曖昧訳してしまった(上掲)というより、幕府首脳部の浅知恵による、薩摩藩に意趣返しをするための意図的誤訳だったのではないか。薩摩藩が原文を把握していなかったとも考えにくいのだが・・。↓>
その真相に薩摩藩が気づいたのは、イギリスの艦隊が鹿児島へ到着し、要求を綴った書状の正しい日本語訳を受け取ったときであった。すでに戦闘モードに入っている薩摩藩としては、もはや引き返すことは難しかったのである。
<そりゃそうだろ。既に賠償金も幕府から受け取っていたし・・。(上掲)。↓>
そんな誤訳があったとは露も知らないイギリスは、開戦の直前まで、戦争にまでなるとは想定していなかった。直接、掛け合えば、あっさり要求を呑むだろうと踏んでいたのだ。
艦隊で鹿児島に向かうイギリス公使館員たちの様子からも、戦争に向かう勇ましさはまったくない。横浜からの船旅を楽しみながら、船上では、おいしいワインを開けて、食事会で舌鼓を打った。
鹿児島が見えてくると、その自然の美しさに感動さえしている。船員のなかには、家族にこんな手紙を書いた者もいたくらいだ。
「もし、友達がすべて一堂に会して、この土地の壮観さと、新奇さをかき立ててくれる楽しみを知ったならば、また、それを心ゆくまで味わうことができたら、これ以上ののぞみはありません」
完全に観光気分である。にもかかわらず、薩摩藩は意外にも強硬な姿勢を見せる。
<なんで、賠償金の話がまだ出て来るのか。遺族扶助金(上掲)ではないのか。↓>
賠償金の支払いを引き延ばし、犯人の引き渡しさえも消極的だ。どうにか相手にきちんと考えさせようと、イギリス艦隊が船を逋脱したところ、薩摩藩がいきなり砲撃に踏み切った。驚いたのは、イギリス側のほうであった。
このころ、すでに久光は京から戻ってきていた。京での話し合いは不発に終わり、将軍の家茂は尊王攘夷が吹き荒れる京へ上洛することになった。
<どうせ、本件にも近衛忠熙が噛んでいたのだろう。↓>
さらに公卿の姉小路公知が暗殺されるという事件が起きる。殺されたのは、姉小路が尊攘派から公武合体派にちょうど移ろうとしていた時期だったうえに、その犯人の1人として疑われたのが「幕末四大人斬り」の1人として知られる、薩摩藩の田中新兵衛だった。新兵衛は自殺し、責任を問われた薩摩藩は皇居九門への出入りを禁じられてしまう。
<いや、近衛家/薩摩藩は、最初から全てお見透しで、薩英戦争を積極的に敢行したのではなかろうか。↓ 1863年の旧暦で8月の薩英戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E8%8B%B1%E6%88%A6%E4%BA%89 上掲
は、同年の旧暦5月に長州藩によって下関戦争の口火が切られていた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%88%A6%E4%BA%89
ことに「対抗」するために(薩摩藩には一貫して「攘夷」の意思などなかったにもかかわらず、)行われたのではないか、と。>
完全に手詰まりだったが、この弱り目に祟り目のような薩英戦争が、結果的に局面を打開することになるとは、想像しなかっただろう。
大久保は、久光や藩主の忠義とともに本陣の千眼寺の本営で、作戦の指導にあたった。生まれて初めての実戦である。青二才と揶揄された出世頭の大久保がとった作戦、それは「完敗だけはしない」という守備作戦だった。大久保が徹頭徹尾、守備を貫いたことで、誰もが無謀と考えた薩英戦争において、薩摩藩は意外な健闘を見せることとなる。」
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E3%81%AB%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%B5%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%9F-%E8%96%A9%E6%91%A9-%E5%A4%A7%E5%81%A5%E9%97%98%E3%81%97%E3%81%9F%E6%84%8F%E5%A4%96%E6%88%A6%E7%95%A5-%E9%9D%92%E4%BA%8C%E6%89%8D%E3%81%A8%E6%8F%B6%E6%8F%84%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F-%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E9%80%9A-%E3%81%AE%E5%AE%9F%E5%8A%9B%E3%82%92%E8%A8%BC%E6%98%8E/ar-AASldzE?ocid=msedgntp
日・文カルト問題。↓
<巡航速度?↓>
「・・・死者は69人増え、計5694人となった。・・・」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20220102000300882?section=society-culture/index
<もっと謙虚になーれ。↓>
「日本の「こども家庭庁」創設に失望感・・・
韓国社会にとっても反面教師になる話だ。」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/12/31/2021123180099.html
<ま、韓国は日本と違って真正女性差別国だからな。↓>
The New Political Cry in South Korea: ‘Out With Man Haters’–After slow gains in women’s rights, the country is facing a type of political correctness enforced by young men angry at feminists, saying they undermine opportunity.・・・
https://www.nytimes.com/2022/01/01/world/asia/south-korea-men-anti-feminists.html
<aquamate(コラム#12483)の日本語訳は、「液葬」にしたらいかが?↓>
In Remembering Tutu, South Africa Reckons With Lasting Challenges・・・
https://www.nytimes.com/2021/12/31/world/africa/desmond-tutu-legacy.html
ナチ時代のユダヤ人の受難。
<エジプト人とその奥さんも、救ったんだー。↓>
The Yad Vashem Holocaust memorial in Jerusalem honours 25,000 individuals who helped to save Jewish lives during the second world war. Among this roll call of the “Righteous among the Nations”, there is only one named Arab: Dr Mohamed Helmy. This remarkable book tells the story of Helmy’s life, in particular the years in which he helped a young Jewish girl, Anna Boros (later Gutman), evade the Nazis in the heart of Berlin from 1936 until the end of the war.・・・
https://www.theguardian.com/books/2021/dec/26/anna-dr-helmy-by-ronen-steinke-review-the-schindler-of-the-surgery-room
<戦い、そして、自分たち自身で自らを救ったユダヤ人女性達もいたんだー。↓>
In the footsteps of the women who escaped a Nazi death march・・・
https://www.bbc.com/news/stories-59566983
大昔からとも言えるし、比較的最近からとも言えるようで・・。↓
・・・The Sahara began to dry out some 7m years ago, principally due to the slow drift of the continent of Africa into latitudes characterised by drier air. Rain-bearing clouds shed their moisture before they could get to it.・・・
But on a number of occasions the Sahara has been a green and pleasant land. The last time was between 15,000 and 5,000 years ago. Back then, the tropics received more radiation from the sun, and summer and winter rains reached into the heart of this now barren land. Vegetation belts in the north and the south spread more than 1,000km farther inland than their current limits. It was a land of tropical savannah and grassland, with lakes and rivers filled with an abundance of life.
But from about 5,000 years ago the Sahara began to dry out again.・・・
https://www.theguardian.com/books/2021/dec/29/when-the-sahara-was-green-by-martin-williams-review-the-sands-of-time
ギャー、心しよ。↓
「「猫背は絶対に放置してはいけない」胃腸科の専門医がそう訴える”これだけの理由”・・・」
https://news.livedoor.com/article/detail/21448672/
中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓
<いやはや。↓>
「日本はやっぱり魅力的な投資先「不動産投資でおすすめの都市」・・・横浜・・・中国メディアの騰訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1704529?page=1
<ま、頑張ってくれたまえ。↓>
「日本が宇宙飛行士の月面着陸を目指すだと? ライバル心むき出し・・・中国メディアの騰訊・・・」
http://news.searchina.net/id/1704532?page=1
<新しい部分もある。↓>
「中国高速鉄道が「新幹線に完敗」している分野とは・・・1つが「運営面」だと強調した。中国高速鉄道の駅は郊外や辺鄙な場所にあるケースがほとんどで、駅に行くまでが不便で、他の公共交通機関との連結も悪く、利便性に劣ると指摘する一方、新幹線の駅は在来線やバス、地下鉄との連結に優れ、利便性が高いと指摘している。また、時間に正確な運行という面でも新幹線が勝ると論じた。・・・3つ目は「駅弁」だ。・・・中国メディアの新浪・・・」
http://news.searchina.net/id/1704531?page=1
2つ目は「新幹線は災害や悪天候に強いこと」だ。
<定番。↓>
「日本のパスポートが世界最強なのは「結局、日本人が高評価だから」・・・中国メディアの網易・・・」
http://news.searchina.net/id/1704530?page=1
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<太田>
朝、ヤマハのサラウンド環境が機能していないことに気付き、左右リアスピーカーのファームウェアのアップデートが求められていること、と、ミュージックバーが認識されていないこと、の2つの理由からであることが、ヤマハのアプリ上で確認できたので、前者については措置できたが、後者については難渋した。
ここまでは、ヤマハのアプリはタブレットのものを用いていたところ、Googleへの再ログインを求められ、再ログインしようとしても、パスワードが旧パスワードだというエラー表示が出てしまう。
パスワードを変更したのかもしれないが、記憶がない。
で、パスワード変更を行ったのだが、それでもエラー表示が出てしまう。
(後ほど、X299パソコン上で確認したら、パスワード変更は完了していた。)
仕方なく、スマホのヤマハのアプリを用いることにした。
結局、ミュージックバーを再起動し、設定を最初からやり直すことにしたが、2度失敗し、3度目にようやく成功。
この過程で、今まで常にスキップしてきたところの、Alexaとの連携・・それが可能であることを完全に忘れていた!・・をこの際と思って行った。
こうして、ついに、ヤマハのサラウンド環境を回復することができた。
しかし、問題が残った。
Echoから音声で、ヤマハのサラウンド環境をオン/オフできるようになったけれど、TVが連動してくれないのだ。
つまり、TV用のリモコンを併用しないと、TVと連動してくれないというわけだ。
(これまで使い続けてきたJ:COMのセットトップボックス用のリモコンでは、変らず、連動してくれる。)
しかも、そのたびに、入力切替をやりなおさなければならない、と、理解し難い状況だ。
正月明けの明後日にでもヤマハのサポートに電話で聞いてみるつもりだ。
<太田>(昨夜)
富士通旧パソコンのThunderbirdの状況もX299パソコンのThunderbirdと全く同じでした。
新年を迎えて、Thunderbirdの設定をさわらなかったパソコンとさわったパソコンとが同期するとは!
<K.K>(同上)
Firefoxは、Firefoxアカウントを通じて同期しますが、Thunderbirdには、Thunderbirdアカウントというのはないので、どういう経路で同期したかは謎です。
≫ところで、Thunderbirdですが、発信メールが「22発信済みメール」サブフォルダに収納されることは確認できたものの、依然として、受信メールは、「2021」フォルダと「2022」フォルダの両方に収納されてしまいますね。
現在は、「2021」収納メール群を「2022」に移動させることで、二重収納を解消させています。≪(コラム#12483。太田)
Gmailに、フィルタとして「2022」用のフィルタ1個しか存在しない状態でしょうか?
<太田>(同上)
HPパソコンのThunderbirdの状況も同じですね。
そもそも、Gmailでも状況が同じなので、どうやら、Gmailでの設定を私が間違っているようです。
設定をやり直したはずなのに、その都度ミスをしてるんですかね。
<K.K>(同上)
下記の1・2のように、Gmail上のフィルタを全て削除してしまって、再度フィルタを設定した方が解決は早いと思います。
1. Gmailにアクセスして、フィルタを全て削除
2. 「190112-00 メール仕分け設定」の「<2>受信メール用フィルタの設定」の「6」以外を再度実行
3. 受信、念の為に送信に関して、意図通りに振り分けられるか、確認
<太田>(同上)
明日やります。
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やりました。(2日昼過ぎ。)
うまくいきました。
但し、Thunderbirdで「22発信済みメール」サブフォルダが2つに増えていたので、発信済みメールが全く入っていなかった方のを削除しておきました。
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Gmailの方でも同じことをしておきました。
次回からは、必ず年を越してからその年のための設定を行うようにします。
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太田述正コラム#12486(2022.1.2)
<内藤一成『三条実美–維新政権の「有徳の為政者」』を読む(その16)>
→非公開