太田述正コラム#1472(2006.10.27)
<生来的帝国主義国の米国(その1)>(有料→2007.3.30公開)
1 始めに
ちょっと前に(コラム#1448で)お約束したとおり、ケーガン(Robert Kagan)が上梓したばかりのDangerous Nationの内容をご紹介することにしましょう。
(以下、特に断っていない限り
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-boot11oct11,0,3767965,print.column?coll=la-opinion-rightrail
(10月11日アクセス)、及び
http://www.opinionjournal.com/la/?id=110009104、
http://www.writersreps.com/feature.cfm?FeatureID=73、
http://www.ocnus.net/artman/publish/article_26209.shtml
(いずれも10月27日アクセス)による。なお、最初の3つはこの本の書評、最後の1つはケーガン自身による解説。)
2 ケーガンの米・生来的帝国主義論
(1)米国の孤立主義的自己イメージ
米国独立の父の一人で「我に自由を与えよ、しからずんば死を」という言葉で有名なパトリック・ヘンリー(Patrick Henry。1736??99年)は、米国憲法の支持者を批判して、「君たちは若い共和国を巨大で強い帝国に変えようとしている」と警告したし、米初代大統領のワシントン(George Washington。1732??1799年)は、1796年の大統領辞任演説で、「欧州列強は敬して遠ざけるべきだ」と述べたし、第6代大統領のアダムス(John Quincy Adams。1767??1848年)は1821年の独立記念日に、「米国は外国にでかけた滅ぼすべき怪物を探すようなことはしない」と述べた。
そして米国は、彼らの期待したとおりの歴史を歩んできたことになっている。
米国は孤立主義的であり、米国が国際社会と武力で関わり合いを持ったのは、米国が攻撃されたか、世界平和の敵・・ドイツのナチズム・日本の帝国主義・ソ連の共産主義・イスラム過激派・・が出現した時だけだというのだ。米国自ら欲して戦争をしたことはなく、戦争をせざるを得ない場合にだけ戦争をしたというのだ。
(2)実は帝国主義国中の帝国主義国
しかし、実のところ、このような米国の自己イメージは、全く事実に反している。
1750年代には、フランクリン(Benjamin Franklin。1706??90年)は、フランスの脅威から英領13植民地を守るため、仏領ケベックに対し先制攻撃をかけよと主張したものだ。 また、米国が、英国と袂を分かったのは、英国が帝国主義的であったからではなく、英国が十分帝国主義的でなかったからなのだ。北米植民地の人々は、英国が1763年に、インディアンを保護するため、南北に線を引き、この線より北米大陸の内側に植民地の人々は入ってはならない、と宣言したことに怒り狂ったのだ。
こうして英領北米植民地の人々は、植民時代からインディアンから土地を取り上げ続け、挙げ句の果てにはインディアンをほとんど絶滅させ、更に北米大陸から、フランス・スペイン・ロシアを駆逐してしまう。この間、母国の英国すら駆逐されかかったが、カナダにかろうじて踏みとどまった、というすさまじさだ。
まことに米国は、帝国主義国中の帝国主義国であると言えよう。
そもそも、米国人は世界中で一番戦争が好きな人々だ。
米上下両院の有力議員を勤めたヘンリー・クレイ(Henry Clay。1777??1852年)は、1812年の米英戦争の直前、不名誉な平和より名誉ある戦争の方を好む、と述べたし、有名な米最高裁判事であったホームズ(Oliver Wendell Holmes Jr.。1841??1935年)は、南北戦争に参戦して三度も負傷したが、戦争は身の毛もよだつし退屈でもあるけれど時間が経つとそれが神聖な意味を持っていたことが分かるものだ、と語っている。
最近の世論調査でも、米国では80%の人が、正義を実現するために戦争をすることが必要な場合がある、と考えているが、仏・独・伊・西では、そのように考える人は三分の一に満たない。
(3)自由主義的帝国主義
人間は、強い力を持って周囲に影響力を行使したいという共通の性向を持っており、米国が帝国主義国であること自体は珍しくも何ともないが、米国がユニークなところは、その帝国主義が自由主義の旗を掲げているところにある。
そのことこそが、米国をして、帝国主義国中の帝国主義国たらしめたものなのだ。
(続く)