太田述正コラム#1482(2006.11.2)
<江戸時代と現代日本(続)>
1 始めに
表記シリーズの2回目は教育です。
2 江戸時代の教育
(1)庶民教育
まず、庶民教育について、石川英輔「大江戸生活事情」(講談社文庫)から、関連箇所をピックアップしてみましょう。
江戸時代の初等教育は、7、8歳から11、12歳くらいの間に寺子屋(江戸では手習い師匠)で読み書き算盤を習うというものでした(271頁)。
江戸では、就学率は80%にのぼりました。農村では良く分かりませんが、20%程度であったとも考えられています(306??307頁)。
ちなみに、1838年から始まる英国のビクトリア時代の大都市の自動就学率はわずか20??25%程度でしたし、ロシアでは1910年代になっても、最先進地方のモスクワでさえ、就学率は20%でした(280頁)。
なお、江戸では、女子教育の方が男子教育よりもレベルが高かったといいます。男は職業教育が優先されたのに対し、女子には読み書き算盤だけでなく、芸事や、更に高い教養を身につけさせた上で、総仕上げとして武士の過程に奉公させ、本格的な行儀作法や教養を身につけさせたからです(282??283頁)。
勉強好きでより高度の学問をしたい人には、幕府の昌平坂学問所があり、庶民でも自由に聴講できる部門を設けられていました。そのほか、民間の学者が経営するさまざまな学問の私塾もあり、和算を教える塾までありました(271頁)。
当時は、庶民の教育は、義務教育ではありませんでしたし、幕府や藩によってカリキュラムが定められたり、教科書が検定されたり、教員免許が与えられたりすることもありませんでした。また、当然のことながら、何々学校卒業という資格も肩書きもなく、その必要もありませんでした。(270頁)
(2)武士教育
次に武士(男子)の教育は義務教育であり、幕府には昌平坂学問所、各藩には藩校があって、7-8歳でこれらの学校に入学して、一般に、四書五経の素読と習字を中心としてまず文を習い、のち武芸を学び、14-15歳から20歳くらいで卒業しました(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8F%B2。11月2日アクセス)。
このような教育を受けた武士が、社会のリーダーとして、その重責を自覚して身を正し、庶民の師表となり、庶民を育み慈んだことは少し以前に(コラム#1476で)申し上げたとおりです。
(3)まとめ
以上をまとめると、江戸時代の教育は、庶民教育と武士教育(エリート教育)に大きく分かれており、前者は義務教育ではなく、しかも現在の小学校の期間程度で内容は読み書きそろばん程度であったのに対し、後者は義務教育であり、現在の小中学校ないし小中学校高校短大の期間程度で内容は読み書き・儒学・武芸、つまりは文武両道であったわけです。また、庶民の修学意欲は極めて高かったわけです。
総じて、江戸時代の教育制度は、極めて安上がりでしかも効果的であったと言えそうです。
3 日本の現在の教育
(1)始めに
明治維新後、政府は、欧米の教育制度を参考にしつつ、庶民とエリートの子弟の垣根をなくし、全国民の子弟を対象とする義務教育制度を導入するとともに、高等教育において、旧制高校(全寮制)・大学と陸士・海兵(全寮制)・陸海軍大学という、文と武の二系列からなるエリート高等教育制度を設けました。
このエリート教育における文武両エリートの分断は極めて不適切であった、と私が考えていることは、ご承知の方も少なくないと思います。
また、戦後に関しては、占領軍の介入もあって、日本がエリート教育を廃棄してしまったことが、現在までずっと尾を引いている、と私は考えていることをご承知の方もいらっしゃるでしょう。
(2)江戸時代の教育から何を学ぶべきか
第一に学ぶべきことは、エリート教育の重要性です。
エリート教育が欠落している現状を何とかしなければならない、ということです。
また、エリート教育の核心は、儒学と武芸、すなわち、古典・歴史教育と軍事教育である、ということです。
第二に学ぶべきことは、基礎的共通教育(学校教育)の内容は、読み書き算盤に相当する国語と算数を中心とすべきであり、それで足りる、ということです。
第三に学ぶべきことは、稽古事を含めた基礎的教育全般について、政府はカネは出しても口は極力をさしはさまないようにすべきであるし、また、塾や師範はもとより、学校も自由に父兄が選べるようにすべきだ、ということです。