太田述正コラム#1492(2006.11.7)
<ファーガソンの20世紀論(その1)>

1 始めに

 ニール・ファーガソン(Niall Ferguson)が今年も本を出したことや、その本の題名が THE WAR OF THE WORLD Twentieth-Century Conflict and the Descent of the West であることも知っていた(ちなみに出版社はPenguin Press)のですが、アシスタントをかき集めてつくりあげた大部(808頁)の愚著、といった書評が多く、これまで取り上げなかったのですが、ワシントンポストに秀逸な書評(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/11/02/AR2006110201378_pf.html
。11月5日アクセス)が掲載され、ようやくこれがどんな内容の本なのかが分かったので、取り上げることにしました。

2 本の要旨の核心部分(上記書評による)

 20世紀は人類史上最も血腥い世紀だった。
 20世紀における世界の戦争(war of the world)は、1905年の日本のロシア海軍への勝利から始まり、朝鮮戦争が終結する1953年まで続いた。第一次世界大戦と第二次世界大戦は、この世界の戦争における二つの頂点にほからなない。
 この世界の戦争は、三つの背景の交錯によって起こった。
 背景の第一は、価格と成長率の乱高下であり、これが社会的政治的不安定をもたらした。
 第二は、第一の背景によって高められたところの、民族的(ethnic)緊張だ。
 第三は、伝統的帝国の衰亡だ。ロシア・支那・オーストリアハンガリー・オスマントルコ、が民族的に混淆した辺境における支配権を失い、そこを発火点として多くの紛争が生起した。伝統的帝国の衰亡は、上昇気運にあった日本・イタリア・ドイツに乗ずる隙を与えた。
 伝統的帝国は異種族間結婚(miscegenation)を当然視していたが、日・伊・独は科学的人種主義とでも言うべきものに基づき、特定の民族の生来的優越を謳う人種理論を掲げ、かかる人種的混淆を排斥した。ドイツは、この中で唯一、ジェノサイドまで行き着いた。ドイツではユダヤ人が完全にドイツ化していたからこそ、激しく排斥されたのだ。
 第一次世界大戦の勃発は偶然の所産だったが、第二次世界大戦は必然的に生起した。
 日・伊・独は、帝国の概観を持った国民国家、すなわち帝国的国家(empire-state)であり、それぞれが生存空間の拡大、重要資源の支配、新世界秩序の確立、を求め、世界をアーリア・ローマ・大和の三人種の支配の下で三分割しようとしたからだ。
 世界の戦争の期間を含め、20世紀は、軍人よりも多数の一般住民が不慮の死を遂げた世紀でもある。戦時には戦略爆撃、平時には粛清や意図的飢饉、そして戦時平時を問わず、強制収容所や大量処刑によって一般住民が大量に殺害された。
 しかし、結局は、英仏米ソの経済力が独日を打ち破って第二次世界大戦は終わった。
 第一次世界戦争によってソ連が誕生し、そのソ連は第二次世界大戦の最大の受益者となったが、そのソ連は今やない。ロシア帝国改めソ連帝国、もまた瓦解したのだ。
 結局、20世紀とは、世紀の初頭に世界を牛耳っていた西側が、アジアの勃興によって相対的に没落した世紀であったと言えよう。
 ところで、世界の戦争を引きおこした三つの背景は、現時点で一体どうなっているだろうか。
 1945年以降、景気の乱高下は基本的になくなったし、大量虐殺・追放・移住を伴ったものの19世紀の諸帝国の辺境における人種的混淆もまた基本的に解消した。反自由主義的帝国、とりわけソ連とオーストリアハンガリーは瓦解し、人種的に均一な国民国家群によって置き換えられた。
 これだけ見ると、世界の戦争が再び起こる心配はなくなったと言えるのかもしれない。
 西側の引き続きの没落とアジアの勃興が新たな戦争を引きおこすことさえなければ・・。

3 私のファーガソン史観批判

 この書評は、フォーリン・アフェアーズ誌の編集者であるホーグ(James F. Hoge Jr.)によって書かれたものですが、この書評がファーガソンの本を的確に紹介している、という前提の下で、ファーガソン史観批判を行いたいと思います。

(続く)