太田述正コラム#1501(2006.11.11)
<産業革命をめぐって(その2)>(有料)
3 イギリスに産業革命はなかった
つい最近にも、ガーディアン紙の経済編集主幹のエリオット(Larry Elliott)が書いた論説(
http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,,1939026,00.html
。11月6日アクセス)の中で、次のような箇所を発見しました。
「産業革命が始まってからの250年においては、進歩はどれだけ経済が成長できるかで測られるようになった。1750年までの1,000年間は成長率は低く、ゼロに近かった。だから、18世紀のイギリスに生きていた農夫の生活はアルフレッド大王(注1)の治世の頃同じ土地で生きていた農夫の生活と同じようなものだった。産業化は、最初のひどい段階を過ぎると、生活水準の急速な向上をもたらした。人々はより長寿になり、労働時間は短くなり、栄養水準は高くなり、容易に対処しうる疾病で死ぬこともなくなった。1756年の農夫が2006年の英国を見れば、目を丸くするだろう。」
(注1)Alfred the Great。849???899年。アングロサクソン諸王国中の南部のウェセックス(Wessex)の国王。
大方の読者は、そのとおりだと思うでしょうね。
ところがどっこい、これは真っ赤なウソなのです。
というのは、川北稔が、1993年に「<イギリスの>工業化時代の経済成長率にはなんら特別の加速はみとめられ」ず、「国民所得のなかで工業所得がしめる比率も、工業労働に従事する人口も低い。工業制度や蒸気機関もさっぱり普及しなかったし、技術の伝達も相変わらず事実上の徒弟制度が一般的であった。・・要するに、工業化は、ごく一部の地域、一部の人びとに影響を与えただけで、マクロ的には、イギリスはほとんど変化しなかった」、産業革命なるものはなかったというのが、今日の英国史学界の主流なのである、と指摘している(渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社ライブラリー 2005年 133??134頁)ように、 エリオットの書いていることは、既に英国史学界では乗り越えられた大昔の説であり、そんなことを、「英高級紙ガーディアン」の「経済」「主幹」であるエリオットが知らないはずがないからです。
では、なぜエリオットはウソをついたのでしょうか。
イギリスでは、工業制度や蒸気機関を生み出すのに長年月がかかっただけでなく、これらが国内で普及するのにも長年月を要したけれど、一旦イギリスで普及した工業制度や蒸気機関をパッケージとして輸入した国々においては、次々に、まさに産業革命と呼ぶにふさわしい革命的変化が短期間のうちに起きました。米国においてしかり、フランスにおいてしかり、日本においてしかり、ロシアにおいてしかりです。
つまり、世界全体の視点から見れば、産業革命は確かにあったのです。
ですから、エリオットがそのような意味において、産業革命という言葉を用いているとすれば、その限りにおいて彼はウソをついていないことになります。
問題は、エリオットが、イギリスの王様の名前とか年代(昔の説では、イギリスで産業革命が始まったのは1750年頃とされていた)の代わりに、例えばフランスの王様の名前とか年代を用いなかったことです。
それは、ガーディアンは英国の新聞なのに、産業革命について書いた箇所にフランスの話だけが出てくると不自然だし、どうしてイギリスの話を出さなかったのかと問い詰められると、本当の理由を話さなければならなくなるからです。
アングロサクソンたるオーストラリア人のスヌークス(コラム#1488))のように産業革命は偶然イギリスで始まったに過ぎないとか、この同じくアングロサクソンたるイギリス人のエリオットのようにイギリスにも産業革命があったとか、彼らが心にもないことを言うのは、本当のことを言ってしまうと、イギリスは特別に秀でた国であるとかアングロサクソン文明は特別に秀でた文明である、とエリオットらが主張しているとアングロサクソン以外の人々が曲解(正しく理解?)し、不快に思うであろうから好ましくない、と彼らが気を遣ったためであろう、と私は考えています。
(続く)