太田述正コラム#1503(2006.11.12)
<渡辺京二「逝きし世の面影」を読んで(その1)>

1 始めに

 渡辺京二著の「江戸の幻景」(コラム#1476)に引き続き、同氏の「逝きし世の面影」を読みました。
 「幻景」について書いた時、「江戸時代の生の空間と人びとの存在洋式<は>近代のそれとまったく異質であり、二度と引き返せない滅び去った世界である・・という渡辺の見解には必ずしも同意できない」と申し上げた次第ですが、この点については、「幻景」の習作とも言うべき大著である「面影」(平凡社ライブラリーとしては2005年9月刊だが、葦書房から原著が出たのは1998年)を読んだ今も変わりません。
 「幻景」と「面影」は内容的にはほぼ同じなのですが、私が特に重要だと考える、「面影」の第三章「簡素とゆたかさ」と、第七章「自由と身分」からの抜き書きをお示しした後、私のコメントを付したいと思います。
 ちなみに、渡辺は、1930年に京都で生まれ、書評紙編集者などを経て、現在、河合塾福岡校講師、という在野の日本近代史家です(「面影」カバー裏)。

2 抜き書き

 (1)「簡素とゆたかさ」より
  「1691年と92年のケンペルの江戸参府の頃、いや1822年のフィッセル・・や、1826年のシーボルト・・の参府の頃でさえ、彼らオランダ商館員にとって、日本の物質文明は十分賞讃に値するものだったようだ。しかし19世紀中葉には<西洋と日本>両者の差は決定的に開いていた。<にもかかわらず、>ハリスやオールコックのような、アジアに関する広い知見と卓越した知性の持ち主は、<日本>の異質なゆたかさをよく理解したのである。」(124頁)、「モース<いわく、>都市にあっては、富裕階級の居住する区域は、わがアメリカにおけるほどには明確なる一線を画してはいない。」(126頁)、「貧民ですら衣服も住居も清潔な日本」(135頁)、「<英国人>ジャパノロジストのチェンバレン<いわく、>「この国のあらゆる社会階級は、社会的には比較的平等である・・一般に日本人・・は、大西洋の両側のアングロサクソンよりも根底においては民主的である。・・金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。・・ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透している・・」(10頁、129頁)、「衆目が認めた日本人の表情に浮かぶ幸福感は、当時の日本が自然環境との交わり、人びと相互の交わりという点で自由と自立を保証する社会だったことに由来する。」(131頁)、「<当時の西洋人は、>何を対照として日本を見ていたのか・・<それは第一に、西洋の>初期工業化社会が生み出した都市のスラム街、そこでの悲惨な貧困と道徳的崩壊<であり、第二に、>西洋人の挑戦によって崩壊しようとする異民族支配下の専制帝国の混乱した末期<の>・・中国<だった>」(132??137頁)

 (2)「自由と身分」より
  「米人宣教師マクガワン<いわく、>日本は専制政治に対する世界最良の弁明を提供している。政府は全知であり、その結果強力で安定している。その束縛は絶対であり、あらゆる面をひとしく圧している。しかるに、社会はその存在をほとんど意識していない」(263頁)、「オールコック<いわく、>形式的外見的には一般民衆の自由があって民主的な制度をより多くもっている多くの国々以上に、日本の町や田舎の労働者は多くの自由をもち、個人的に不法な仕打ちをうけることがなく、この国の主権をにぎる人びとによってことごとに干渉する立法を押しつけられることもすくないのかも知れない」(263頁)、「オランダ海軍<の>カッテンディーケ<いわく、>日本政府は民衆に対してあまり権力を持っていない・・プロシャ使節団のヴェルナー<いわく、>幕府・・は・・土地を・・強制収用する立場にはなかった。」(15頁、264??265頁)、「警察・裁判の機能<は>大幅に民間に移譲されていた」(272頁)、「オーストリアの外交官ヒューブナー<いわく、>ヨーロッパにもこれほど自由な村組織の例はない」(75頁、275頁)、「フランス海軍の一員・・スエンソン<いわく、>日本人は身分の高い人物の前に出た時でさえめったに物怖じすることのない国民<だ>。・・主人と召使いの間には、通常、友好的で親密な関係が成り立っており、これは西洋自由諸国にあってはまず未知の関係といってよい」(278??279頁)、「尾藤正英<の研究によれば、>徳川期の社会構成原理<は>「役の体系」<だった。>「役」とは「個人もしくば家が負う社会的な義務の全体」であって、徳川期においては、身分すなわち職能に伴う「役」の観念にもとづいて社会が組織されることによって、各身分間に共感が成立し、各身分が対等の国家構成員であるという自覚がはぐくまれた・・。しかもその役の体系としての身分制は、けっして固定的なものではなく、身分間の流動性はかなり高かった。」(294頁)

(続く)