太田述正コラム#12437(2021.12.9)
<藤田達生『藩とは何か–「江戸の泰平」はいかに誕生したか』を読む(その36)>(2022.3.3公開)

 「第二が、東アジア規模の「泰平」が訪れたことである。・・・

⇒間違いであり、日本とせいぜい朝鮮半島の「泰平」であったことを既にご説明しました。(太田)
 家光が大坂を諦めて江戸を幕府の本拠地としたのは、東アジアにおいて戦争が想定されなくなったということも重要である。

⇒こういう主張を行う際には、最低限、当時の幕府の高官ないしその関係者がその類のことを示唆している史料を一つでいいので提示してくれなければ話になりません。(太田)

 それに加えて、伊達政宗による慶長遣欧使節によって太平洋ルートを利用したヨーロッパ航路も開発されたことから、江戸はアジアの動きと同時にヨーロッパのそれにも対応できる地勢を獲得していたことにもよるであろう。

⇒当時、メキシコと江戸間、及びメキシコと大坂間、の帆船による航海日数にどれほどの違いがあったというのでしょうか。(太田)

 泰平の世の到来が、幕府や藩に軍事の空洞化をもたらしたかのような言説が、いまだに一部にはあるようだ。
 事実は、高度な武装国家の構築こそが、約2世紀に及ぶ泰平を支えたのであった。
 いうまでもなく、戦争と平和は決して対立する概念ではなく、切り離すことのできないコインの裏表の関係にある。・・・
 寛永年間を画期として、・・・豊臣時代以来の本城–支城制から藩庁–古城制へと変化していった。
 すなわち大名の居城は、要塞としてよりも藩の役所「藩庁」としての機能を強化し、廃止された城郭の一部は幕府から「古城」と認定されたのである。・・・
 「古城」と位置づけられた城郭は、各藩によって管理されることになった。
 ただし、「古城」は単なる遺跡としてではなく依然として藩領防衛や海防のための緊急時の要塞として、・・・その一部は幕府からも公式に位置づけられていたことは重要である。・・・
 <また、>1640<年>、長崎において幕府上使の加々爪忠澄(かがづめただずみ)は、前年の貿易禁止令の撤回を求めて派遣されたポルトガル人使節全員を処刑した。
 忠澄は、その直後に九州の諸大名を島原および小倉に集めて、異国船の来航を監視する遠見番所<(注68)>の設置を指令する。

 (注68)「江戸時代、異国船渡来を監視し警備態勢を固めるため、沿岸各地の見晴らしのよい場所に設けた番所。・・・一六三八・・・、幕府が長崎半島の先端部の野母村(長崎市野母町)の日ノ山(権現山)に設けて、異国船が百浬内外まで進入すると、直ちに長崎に合図で通報させたのが初まり。・・・
 <最初に設置されたこれは、>事前に唐船の入津を探知するためのもので,これを白帆注進といった。・・・」
https://kotobank.jp/word/%E9%81%A0%E8%A6%8B%E7%95%AA%E6%89%80-581962

 さらに、播磨室津(むろつ)においても周辺の諸大名を招集して同様の指示を与えた。
 これらを受けて、遠見番所をはじめとする海防施設は、九州・瀬戸内地域などの西国沿海地域に急速に設置され、やがて南は先島諸島から北は奥羽まで及ぶ全国的なナットワークを形成する。・・・」(205~206、208~210)

⇒仮に、このくだりが藤田の言っている通りだったとしても、相手を見つけただけでは意味がありませんが、敵性艦船に攻撃を加える能力や、敵性兵力の上陸を許した場合の防禦・撃退能力を幕府や藩が保持し続ける努力をしたとは到底思えません。
 幕府や藩の軍艦船の話までには立ち入りませんが、海防の最前線たる台場に関しては、「譜代・親藩大名が黒船来航以前から数多くの旧式台場を築造したのに対し、有力外様大名は黒船来航以後に少数精鋭の台場を築造する傾向が強かった」
https://www.excite.co.jp/news/article/BestTimes_10239/
というちぐはぐな状態でしたし、安土桃山時代にすら、西欧の最新の城郭である星形要塞
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%BD%A2%E8%A6%81%E5%A1%9E
を取り入れた例がなかったところ、幕府であれ藩であれ、海防を真剣に考えるのであれば、台場や陸上の城郭に関し、五稜郭のような星形要塞を江戸時代中期には構築していて然るべきですが、幕末に至るまで、構築を検討した形跡すらありません。
 また、火器についても、安土桃山時代に「南蛮渡来の鉄炮は日本と同じ製法だが、鍛造や張り立て・・・鉄砲のシンになる棒を立てて置き、そのまわりを薄い鋼の板で巻いてゆき、その間、焼いたり打ったりして、何枚も張り重ね、最後にシンの鉄棒を抜き取る・・において粗末だったといわれている。」
http://www.ritsumei.ac.jp/ba/~hyodot/semihomepage/koduchi.nagahama1.html
という前例を踏まえれば、最新のものをオランダ商館を通じて取り寄せることさえ幕府がしておれば、世界最先端を超える水準のものを保持し続けることさえ不可能ではなかったかもしれないのに、その類のことを検討した形跡すら皆無です。
 そのため、『幕末<の>もう一つの鉄砲伝来』に日本は震撼することになる
https://www.heibonsha.co.jp/book/b163603.html
わけです。
 一体、藤田の言う「高度な武装国家」ってどこの国のことなのでしょうね。(太田)

(続く)