太田述正コラム#1504(2006.11.13)
<渡辺京二「逝きし世の面影」を読んで(その2)>

 (コラム#1502の「3 腐敗」の中の一文を、「ちなみに、フィンランド・アイスランド・ニュージーランドが非腐敗度で同率首位、英国が11位、ドイツが16位、日本が17位(甘い!)、フランスが18位、イタリアが45位、ロシアが121位であり、」と訂正させていただきます。)

3 コメント

 (1)渡辺の典拠の選び方について
  ア 始めに
 渡辺(いつものことながら敬称は略している)の文章は、典拠からの引用(典拠からの引用の要約を含む)をして語らしめ、その間に適宜、自分の見解をさしはさむ、というものであり、私自身の執筆姿勢と同じです。
 当然のことながら、典拠からの引用は、自分の見解と背馳しないものが中心になるわけですが、あくまでもそれは結果論なのであって、信頼のおける典拠を選び、それらからの引用を書き連ねたら、そこから自然に自分の結論・・見解・・が引き出せた、ということでなければなりません。
 ですから、渡辺が、個々の典拠がいかに信頼のおけるものであるか、を文中で説明していることは、まことにまっとうであり、好感を覚えます。
 しかし、渡辺の典拠の選び方については批判せざるをえません。
 典拠が基本的に欧米人のものだけであるのはおかしいし、少なくともどうしてそうしたかの説明がなされるべきだった、というのが第一の批判であり、選んだ典拠をアングロサクソンの手になるものと欧州人の手になるものとに分けなかったのは問題であり、そのことが、渡辺が時として見当違いの見解に到達することにつながっている、というのが第二の批判です。

  イ 第一の批判
 実は、渡辺自身が、どうして基本的に欧米人の典拠に限ったかを示唆しているくだりがあるのです。
 「欧米人たち・・は・・自らを先進かつ普遍とする立場、一言でいえば文明の立場から日本という未開を叙述した。その叙述に・・サイード<言うところの>オリエンタリズム的・・西洋/東洋の二分法にもとづく偏見が貫いているのはいうまでもない。だが、偏見とはつねに何ものか何ごとかについての偏見である。事実誤認は別として、そこにはたしかに彼らの注意をひいた何ごとかが存在した。彼らがそれを彼らの文化に特有の文脈とコードによって読み解き、そこから誤解や判断のゆがみが生じたことは認めねばならぬとしても、その誤解やゆがみを通してさえ、彼らが何ものか何ごとかの存在を証言している事実は消えようがない。」(28頁)がそうです。
 ここから、渡辺は、「特有の文脈とコード」を持っている「文化」は数多あれど、その中で欧米人だけが(19世紀から20世紀にかけて)自分達の社会が文明的に先進かつ普遍であると信じていたがゆえに、彼らが江戸や明治の日本を見て行った証言を最も尊重すべきであると考え、欧米人の典拠だけを採用したらしいことが分かります(注1)。

 (注1)蛇足ながら、渡辺が、日本人自身による証言を基本的に引用していないのは、渡辺自身が「文化人類学的方法の要諦<は、>ある文明の特質はそれを異文化として経験するものにしか見えてこない<ということ>だ」と言っている(56頁)ように、当然のことだ。
 
 私はこのような渡辺の方法論には賛同できません。
 渡辺は、(19世紀から20世紀にかけての)日本人の大部分は日本社会が文明的に後進かつ特殊であると信じていたと見ている(例えば20??22頁)のですが、彼は、和辻哲郎の「風土」(1935年)、竹山道雄の「昭和の精神史」(中のナチスドイツ論。1956年。コラム#1019)や梅棹忠夫の「文明の生態史観序説」(1957年)のような日本人の手になる欧州(含イギリス)論の価値を全面的に否定するつもりなのでしょうか。
 どうもそうらしいのです。
 この本の中に登場する日本人以外の非欧米人は、レバノン出身のアラブ人たるエドワード・サイード(Edward W. Said。1935??2003年)と支那の福建省出身の林語堂(Lin Yutang。1895??1976年)二人だけであるところ、渡辺は、彼らにそれぞれ、欧米的な物の見方に対する批判を語らせている(それぞれ、22??61頁及び62??63頁)のですが、それは、サイードが米国で高等教育を受け、米国で生涯を終えた人物であり(23頁)、また、林語堂が米国とドイツで高等教育を受け、後半生をおおむね米国で送った人物であり、二人ともその著作の大部分を英語で書いた(
http://en.wikipedia.org/wiki/Lin_Yutang
。11月13日アクセス)こと、つまりは、この二人を欧米化した非欧米人であると渡辺がみなしたからこそであると思われることがその傍証です。
 私としては、渡辺に、支那人やアラブ人やインド人が(19世紀から20世紀にかけての)日本を見て行った証言も引用して欲しかった、いや、せめてどうして引用しなかったのかを説明してもらいたかったのですが、渡辺がこれほど欧米ないし欧米人にコンプレックスを持っている以上、そんなことはどだい無理な注文だったのです。

  ウ 第二の批判
 では次に、渡辺が、典拠をアングロサクソンの手になるものと欧州人の手になるものとに仕分けしていないことへの批判です。

(続く)