太田述正コラム#1506(2006.11.14)
<渡辺京二「逝きし世の面影」を読んで(その3)>
単純な例から始めましょう。
オランダ人が1820年代の日本を物質的に豊かであると見たのに対し、米国人や英国人が1850年代の日本を物質的には貧しいと感じた(コラム#1503)のは、渡辺が言うように、その間の欧米(西洋)の産業化の進展を反映しているのではなく、単に、米英に比べて欧州が、いかなる時代においても貧しかったこと(コラム#54)を反映しているだけなのです。
次にもう少しむつかしい例です。
幕末の日本が自由な国であったことについて、欧州人とアングロサクソンの証言ぶりに微妙な違いがあることに渡辺は気付いていません。
「オーストリアの外交官ヒューブナー<いわく、>ヨーロッパにもこれほど自由な村組織の例はない」とか、「フランス海軍の一員・・スエンソン<いわく、>日本人は身分の高い人物の前に出た時でさえめったに物怖じすることのない国民<だ>。・・主人と召使いの間には、通常、友好的で親密な関係が成り立っており、これは西洋自由諸国にあってはまず未知の関係といってよい」(コラム#1503)というのは、国家権力が強大な階級社会である欧州の自分達の国々に比べて日本は自由な国だと手放しで賛嘆しているのです。 それに対し、英国の外交官のオールコックが、「形式的外見的には一般民衆の自由があって民主的な制度をより多くもっている多くの国々以上に、日本の町や田舎の労働者は多くの自由をもち、個人的に不法な仕打ちをうけることがなく、この国の主権をにぎる人びとによってことごとに干渉する立法を押しつけられることもすくないのかも知れない」と言う(コラム#1503)時、それは、自分達アングロサクソンの国々だけが真に自由な国々である(コラム#90)ところ、「<アングロサクソンの猿真似をして>形式的外見的には一般民衆の自由があって民主的な制度をより多くもっている多くの国々」、すなわち欧州の国々に比べて、日本の方がより自由な国と言えるかもしれない、と言っているだけなのです。
つまりオールコックは、高みに立って、欧州と日本という二つの野蛮な社会を比較しているわけです。(まだ腑に落ちない方は、オールコックの言をもう一度熟読してみてください。)
渡辺が、このようにアングロサクソンと欧州との違いに全く無頓着なのは、日本人の大部分がそうである以上、やむを得ないのかもしれません。
それにしても、渡辺が、「変化と発展こそまさに西洋近代の価値基準であり、しかもそれはなんらの普遍性ももたない準拠枠である」(27頁)と言う時、後段はともかくとして、前段は余りに雑駁な主張であると言いたくなります。
アングロサクソンの本家たるイギリスの価値基準は、「変化と発展」を否とするものであるからです(コラム#90)。
なお、できそこないのアングロサクソンである米国は、「発展」を是とする価値基準こそ持っているかもしれないけれど、世界で最も古い憲法に定められた国制を墨守していること(コラム#304)一つとっても、決して「変化」を是とはしてはいないことを申し添えておきます。
(2)渡辺が書斎人であることによる限界
渡辺は、ポルトガルの外交官のモラエス(Wenceslau Jose de Sousa de Moraes。1854??1929年)の「ヨーロッパ人がひどく厭う恐ろしく醜い人間の群が、汚い暮しをしているあの支那の部落の不潔<さと>この<清潔な>日本との対照はまったく驚嘆に値するものだ」(136頁)という言を引く等、(19世紀から20世紀にかけての)支那の街の不潔さや支那人の汚さを(同じく19世紀から20世紀にかけての)「貧民ですら衣服も住居も清潔な日本」(コラム#1503)と対比させつつ、それは「西洋人の挑戦によって崩壊しようとする異民族支配下の専制帝国の混乱した末期」の支那(コラム#1503)の姿に過ぎないと注意を喚起しています。
しかし、これはとんだ考え違いです。
私は、2002年5月に北京を訪問した時、北京郊外の廬溝橋付近の街を歩いてみた(コラム#36)のですが、雑貨店や飲食店が余りにも汚らしかったため、好奇心旺盛であると自負しているにもかかわらず、店内に足を踏み入れることを躊躇しました。翌2003年には、同じ北京を2月と7月の2回訪問しましたが、7月の訪問時のこと、北京郊外の周口店付近で昼飯時になった(コラム#134)ので、私は今度こそ地元の普通の飲食店に入りたかったところ、案内してくれていた支那人二人が、衛生状態に問題があるからと必死に止めたので、結局マクドナルドに入りました。最終日には、夕食を済ませてから、夕食に招待してくれた支那人三人と一緒に北京の中心部近くの伝統的な喫茶店に靴を脱いで入って、支那式お手前でお茶を飲んだのですが、途中でおしぼりを頼んだところ、おしぼりを出すという習慣がないせいか、随分時間が経ってから濡れタオルをしぼって出してきたのは仕方なしとしても、それが汚れてどす黒い色をしていたタオルだったので、とても顔を拭く気になりませんでした。
「革命」の後、半世紀以上も経った21世紀にもなって、上海と並んで中共で最も豊かな地区である北京(郊外を含む)が、かくも汚く不潔なのですから、渡辺の上記の注意喚起は的はずれだと言うほかありません。
思うに渡辺は、書斎人であって、中共に行ったことがないのではないでしょうか。
土地勘のない所のことで、断定的なことを言うのは控えた方がよい、という良い例です。
(続く)