太田述正コラム#12456(2021.12.18)
<2021.12.18東京オフ会次第>(2022.3.12公開)

1 始めに

 実際の「講演」内容は、今回、3本柱の「講演」原稿になったゆえんの説明が中心。
 「講演」後の議論は活発に行われた。

2 質疑応答(Oは私。順不同。)

A:出席者に事前に配布された「講演」原稿中、人名で誤記と思われる箇所が2か所あった。
B:うち1か所は、当該人物の改名前の名前で、太田さんがその旨断る等を行い忘れたのだろう。
O:もう1か所は、この場で判断できないので、後でメールで改めて指摘して欲しい。
A:また、「講演」原稿には、「内蔵助の4代前には近衛家出身の 志茂が大石家に嫁いでいる。つまり、大石家と近衛家は姻戚なのです」とあるにもかかわらず、太田さんは、「「大石家と近衛家は姻戚」は間違いで、単に縁が少なからずあったくらいの話だろう。」と書いているが、姻戚は姻戚だろう。
O:そこは、「近衛家出身」を「近衛家の関係者」と受け止めたからなのだが、私の受け止め方が間違っていた可能性はある。
A:話は変わり、比較的最近の三島由紀夫についてのシリーズだが、太田さんの三島批判、似た者同士の内輪もめのように思った。
 2人とも、日本における天皇の重要性や自衛隊の国軍化を訴えているのだから・・。
 (ちなみに、丸谷才一も、太田さん同様、三島の論考の非論理性を批判している。)
 私は、三島については、短編群以外に、江戸時代の戯作者的な作品群、例えば、歌舞伎作品群
< http://enmokudb.kabuki.ne.jp/phraseology/3566 >
を高く評価しており、現に、現在も上演されている演目がある。
 また、中編小説だが、『美しい星』もいいと思う。(その中から2か所を朗読。)
 現在、映画化されて上映中だ。
O:『美しい星』は、タイトルはよく知っているところ、読んだかどうかまでは覚えていないが、朗読されたような気の利いた文章は出てきても、確か、テーマは陳腐だったはずだ。
 高校時代に、私が、最初に読んだ三島作品は『金閣寺』だったが、有名な小説であれほど感情移入できなかったものは珍しい。
 「豊饒の海」三部作を読んだ時は、買ってしまったものだから、最後まで全部読むには読んだけれど、テーマの陳腐さにげんなりさせられたことに加え、彼の仏教に関する知識が相当いい加減であるとも思った。
 三島は、小説家としては、(短編戯曲集とも言うべき)『近代能楽集』の作家としてだけ記憶されるべきだろう。
 蛇足だが、彼が、戯作者を気取ったのなら、彼の「文化防衛論」での江戸文学に対する敬意の感じられない文章はいただけない。
 いずれにせよ、三島はオリジナルな論理的な論考が書けない人物であると見た。
 改めて、論文を一切書かせずに卒業させるところの、東大法学部教育の欠陥を思い出させる。
 「文化防衛論」の出来の悪さは、彼の「自殺」直前の論考故、精神錯乱状態だったからである可能性がないわけではないが、出来の良い「文化防衛論」を書けなかった、書かなかった、から、彼の「自殺」が単なる自殺、と片づけられる原因になったともいえ、三島は、死に物狂いで出来の良い「文化防衛論」を書かなければいけなかったのだ。
 とにかく、三島の「自殺」直後に防衛庁に入った私は、同庁内で三島の死が話題に全くと言ってよいほど出なかったことにいささか驚いたのだが、防衛庁が発足時から既に脳死していた可能性は排除しないけれど、私自身は、それはもっぱら三島自身のせいだと思う。
C:岩井秀一郎『最後の参謀総長 梅津美治郎』を置いてゆくが、陸大トップのこういう大秀才らが、杉山についていったのだから、杉山がただ物ではない、ということを改めて感じた。
 この梅津もまた、何の記録も残していない。
 陸軍のしかるべき人物達は全員そうだが、その背後に杉山の「指示」があったのだろうとも思った。
O:但し、梅津らが杉山の言うことに従ったのは、杉山自身がスゴかったことに加え、その背後に貞明皇后がいたからこそだろう。
 なお、今回、私が仮説として打ち出したところの、近衛前久・信伊構想・・後知恵だが、そういったネーミングをすべきだった・・だって、その存在を裏付ける史料が出てくることは、杉山構想同様、絶対にないだろう。
 但し、その後の歴史上の諸大事件が、仮説たる思想・・「コンセンサス」や「構想」や「主義」・・が存在したとすれば、全て説明できるようになるとすれば、その「構想」類は実際に存在した、と、言い切ってよかろう、というのが私の考えだ。
 聖徳太子コンセンサス然り、桓武天皇構想然り、日蓮主義然り、島津斉彬コンセンサス然り、杉山構想また然りだ。
 前にも言ったように、思想こそが時代の進行方向を決める、というマックス・ウエーバーの考えを私もとっている、ということなのだが、秘匿する必要があり、かつ、家伝の世界、口伝の世界であり続けた日本においては、それらは、いずれもその存在が知られることがなかった、というわけだ。 
 だから、もはや秘匿する理由が殆どなくなった現在、誰かがそれを発掘してあげる必要があり、そのプロセスは楽しいものなのだが、私以外に似たようなことを試みている人が殆どいないのは不思議だし残念に思っている。