太田述正コラム#1520(2006.11.21)
<韓国での按摩騒動(その1)>
1 始めに
韓国で、盲人の按摩(マッサージ)専業制を維持するかどうかをめぐって一騒動が持ち上がっています。
実は、この制度が導入されたのは、朝鮮半島が日本に統治されていた時代なのです。
まず、日本の江戸時代の按摩専業制について触れた上で、何が今韓国で起こっているかをご説明しましょう。
2 日本の按摩専業制について
(1)盲人による按摩専業制の江戸時代
江戸時代は障害者に優しい時代であり、渡辺京二は、「障害者は無害であるかぎり、当然そこに在るべきものとして受け容れられ、人びとと混りあって生きてゆくことができた」(「逝きし世の面影」563頁)と記しています。
そして渡辺は、狂女が茶屋に出入り自由で誰も彼女のすることを咎める者がいないことを驚く、英国のプラントハンターのフォーチュン(Robert Fortune。1813??80年。89頁)の証言(562=563頁)を紹介しています。
しかし、江戸時代には、障害者の中でも、盲人に対しては優しいどころではなく、特権を与えていました。
平安・鎌倉時代に始まる盲人の最高位の検校であった明石覚一は、室町幕府の庇護を受けて「当道座」という男性の盲人の自治的組織を発足させるのですが、江戸時代に入ってからも引き続き、当道座は江戸幕府から庇護を受け、全国の男性盲人のほぼ全員がその支配下に入ります。
1700年代に入ると、杉山和一が惣検校として全国に50ヵ所ほどの鍼治講習新を作り、男性の盲人の按摩・鍼灸教育を始めるのですが、その頃から当道座は、平曲や三曲、按摩・鍼灸の専売特許を獲得した(注1)ほか、特別な金利を許可された金利業を営むこともできるようになり、組織内での「仲間仕置」による広範な裁判権も認められました(注2)。
(以上、特に断っていない限り
http://www.mskj.or.jp/getsurei/sakano0608.html、
http://www.asiadisability.com/~yuki/117.html
による。)
(注1)当時盲人は触診、占い、音楽等に関し、特別な能力を有すると考えられていた(
http://motto.iihariq.com/?eid=250148)。
(注2)幼くして病により失明した塙保己一(1746??1821年)は、江戸に出て最初は検校の下で按摩・鍼灸修行を行うが、学問に目覚め、41歳から30年以上をかけて日本の古書古本を1273点収録した「群書類従」を編纂した。彼が設立した和学講談所は、明治維新後、東京大学史料編纂所となる。(
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog285.html)
(2)盲人による按摩専業制が廃止された明治維新後
明治維新後、この盲人による「按摩・鍼灸の職業独占」は1871年に廃止され、更に、按摩・鍼灸は「医師」の監督下に置かれることになりました。
その後、盲人達は、職業独占の復活、とりわけ按摩専業の復活を目指します。
これに対して政府内務省は、営業の自由の原則、按摩の医療技術としての発展といった観点から、晴眼の按摩師は不可欠であると主張し、盲人の生活困窮問題は職業独占ではなく一般救貧問題として社会政策全般の中で対処すべきであると反論しました。
その結果、盲人達を代弁する帝国議会の議員と内務省との間で妥協案が成立し、按摩免許の導入、および免許取得に際して晴眼者よりも盲人を優遇するという「按摩術営業規則」が1911年に内務省令として発令されるのです。
しかし、その後も盲人達は、按摩専業の復活を求め続け、1914年には晴眼者が按摩業に従事することを禁じる「盲人保護法案」が第31回帝国議会に提出するが貴族院で否決され、ここに盲人達の按摩専業復活の夢は絶たれるのです。
(以上、http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~suginoa/ronbun/ronbun21.htm
による。)
2 盲人による按摩専業制がまだある韓国
(1)朝鮮半島・台湾への按摩専業制の導入
面白いことに、朝鮮半島を併合した日本政府は、この植民地に盲人による按摩専業制を1913年に導入し、日本式按摩の普及を図るのです。
確認はできていませんが、台湾も盲人による按摩専業制を維持しており(
http://www.asiadisability.com/~yuki/117.html
前掲)、恐らく、台湾を領有した日本政府が導入したものと思われます。
(続く)