太田述正コラム#1523(2006.11.22)
<日本の核問題をめぐって(その1)>

1 始めに

 情報屋台(コラム#1447。一般公開まで、もうすぐだと聞いています)の同僚執筆者の紀真人氏のコラム、「産業革命はなぜ連合王国で生じたのか 」に対するコメント(コラム#1477、1489、1501、1515、未完)はお読みになったことと存じます。

 今度は、もう一人の同僚執筆者であるマスター・H・N氏のこれまでの三つのコラム、「繰り返される悲劇の歴史」、「美しい国の核密約」、「フィクションとしての「日本核武装」」について、コメントしたいと思います。この三つのコラムは、すべて日本の核問題をテーマにされており、私としては、つい最近、日本核武装論者に転向した(コラム#1340)こともあり、取り上げさせたいただきたいと考えた次第です。

 なお、氏は、第三者からの聞き書きという体裁をとられていますが、私としては、氏自身の言としてコメントを加えさせていただくことを最初にお断りしておきます。

2 中身に入る前に

 中身に入る前に、氏が、二番目のコラムの「美しい国の核密約」で多用されている言葉が気になったのでまず一言。

 氏は、安倍首相のダブルスタンダード的手法なるものを批判して、「良く言えば、清濁併せ呑んで国民を導いていく。悪く言えば、国民を騙して突っ走っていく。まあ、寄らしむべし、知らしむべからず、という江戸時代からのお代官さまの論理と同じですね」と言っておられます。

 更にちょっと後で、今度は岸、池田、大平各首相の核政策について、「これは、寄らしむべし、知らしむべからず、という江戸時代の為政者の精神そのものでしょう。」とまたもやこの「寄らしむべし・・」という言葉を使っておられます。

 よほどこの言葉がお好きなのでしょうが、果たして氏はその意味がお分かりなのでしょうか。
 氏は、「寄らしむべし、知らしむべからず」が、論語の泰伯第八「<子曰>民可使由之不可使知之」の読み下し文であることはご存じなのでしょうか。

 また、その意味が、「為政者は民に信頼されるように努めよ。民に為政の内容を理解させることは容易ではないからだ」であることはご存じなのでしょうか。

 (以上、例えば、http://kanbun.info/keibu/rongo08.html
(11月22日アクセス)参照。ただし、訳文に私の手を加えた。)

 そもそも、江戸時代にこの言葉を為政訓とした為政者が本当にいるのでしょうか。寡聞にして私は知りませんが・・。

 この孔子の言葉は、間接民主制の根拠としても使える名言だと私は思っているので、この言葉は大切にお使いいただくよう、切にお願いしておきます。

3 コラム「繰り返される悲劇の歴史」について

 このコラムの前段の最後は、「核爆弾が炸裂すると、その瞬間は温度が1000万度にまで達するんですよ。人間は焼けて蒸発し、空気は急激に膨脹して爆風と衝撃波がすべてのものを吹き飛ばしてしまいます。同時に電磁波が走り、いろんな放射線が人間のからだを刺し貫いていくんです。そのあと、死の灰が降り、人間のからだに死神のように取り憑きます。たとえば、死の灰のひとつストロンチウム90はカルシウムと同じ化学的性質を持っていますから、骨に入り込んで骨がんや白血病をひきおこしてしまうんです。セシウム137も、人間のからだに必要なカリウムと区別がつきません。」という一節です。

 私はここまで読んで、氏が、核爆弾が即死しなかった被爆者にいかに苦痛を与えるかを訴えた上で、対人兵器であるダムダム弾や対人地雷、あるいは大量破壊兵器である化学兵器や生物兵器の使用が禁止されたのと同様、核兵器も国際法によってその使用が禁止されるべきであると主張されるのであろうと思いました。

 その過程で私は、ダムダム弾や対人地雷は、ほとんど同じ効果を持つ他の兵器で代替できるし、化学兵器や生物兵器は、気象条件によっては効果が不確実であり、かつ核兵器で代替できるのに、核兵器は効果が確実であり、しかも他の兵器で代替できないため、核保有国は核兵器の使用禁止に踏み切ろうとしない、といった話が出てくるのではないか、と期待したのです。

 ところが、氏は、日本人が広島と長崎で核爆発の被害を受け、更に第五福竜丸が水爆実験の被害を受けた話だけをしてこのコラムを終えられたので、いささか拍子抜けしてしまいました。
 いやいや、これは導入部に過ぎないのだ、と自分に言い聞かせました。

(続く)