太田述正コラム#1534(2006.11.28)
<あるスタンフォードMBAと日本の産業の将来>

1 始めに

 約30年前のある夜、スタンフォードに留学していた私のマンションタイプの寮を、技術系の日本人の友人に連れられて、一人の日本人の青年が訪れてきました。
 服部純市と名乗ったその青年は、友人の話では、セイコー・グループの創業家の御曹司なのだというのです。
 服部氏は、スタンフォード・ビジネススクールに留学することを考えているので、先輩諸氏からアドバイスをいただきたいと思って訪米した、と語りました。
 その時、私は、ビジネススクールなんてハクをつけるだけで実際には物の役に立たないよ、あなたはハクなどつける必要がないのだから、MBAを取得する必要はないでしょう、と言ったような記憶があります。
 これは、ビジネススクール同期の日本人の大方の意見でもあったのですが、後から考えたら、浅はかな間違いでした。
 2年間のビジネススクール教育こそ、私の今日のクリティカルな物の見方を決定的に形作ったことを、10年くらい前から自覚するようになったからです。
 そんなアドバイスにもめげず、服部氏は、ビジネススクールに留学した、と後で聞きました。
 その服部氏が、11月16日付でセイコーインスツル(SII)代表取締役会長兼社長代行の職を解任されたことを昨日、あるコラム(
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061124/114351/
。11月27日アクセス)を読んで知りました。

2 服部氏の主張

 このコラムによれば、セイコーグループの中核企業であり、大手電子部品メーカーでもある企業のトップとしては、服部氏はいささか過激な主張を唱えていたというのです。
その主張とは次のようなものでした。

 日本経済不振の真の原因はバブル崩壊ではなく、日本を牽引していた製造業の不調だ。 例えば、日本の時計産業はクオーツ技術により世界一の座を占めたが、生き残ったスイスの時計メーカーが、高級機械式時計を中心に世界のリーダーに返り咲いている。
 これは、クオーツにシフトした結果、日本の時計メーカーは機械式時計を作る技術を失ってしまったためだ。日本はブランド戦略でも負けたが、技術でも負けたのだ。
 そもそも、クオーツ技術だって開発したのはスイスの方が先だ。
 日本メーカーは部品から完成品まで手がける垂直統合型を取っており、一気にクオーツへ切り替え、量産に踏み切ることができた、というだけのことだ。
 これからは、価格・機能・品質「以外」の新しい付加価値・・「匠(たくみ)」・・が重要であり、日本企業はそのためのテクノロジーを追求する必要がある。
 日本は、新しい「匠」のテクノロジーを開発して高付加価値製品を考案する。そのノウハウを発展途上国に提供し、完成品を作ってもらう。日本はノウハウのロイヤルティーを得てもいいし、途上国へ投資し、そこからリターンを得てもいい。
 日本のものづくりは空洞化してもかまわない。

3 服部氏の主張の評価

 これは恐ろしい主張です。
 服部氏の主張をより一般的な形で言い換えると次のようになります。

 工業製品には2種類のタイプがある。
 一つは、摺り合わせ型(インテグラル型)であり、自動車や精密機械のように、部品を相互に細かく調整して、隙間無く組み上げていくことによって全体としてうまく機能するタイプだ。(自動車の90%以上の部品は,その企業グループでしか通用しない特殊設計部品。)
 もう一つのタイプは,モジュール型(組み合わせ型)であり、デスクトップパソコンや自転車のように、一般の汎用部品の寄せ集めでもそれらを組み立てればまともに機能するタイプだ。
 日本は昔から伝統的な熟練技術者が多かった(注1)ことと、日本型経済体制(コラム#40、42、43)の下、水平的な情報共有度・・企業内組織間の情報共有度や組み立てメーカーと部品メーカー間の情報共有度・・が高かったことから、摺り合わせ型に強かった。

 (注1)江戸時代には、夥しい種類の工芸品が熟練した職人達によって生産されており、幕末以降に来日した欧米人は一様に、低価格の工芸品まで質が高く美しいことに目を見張った(「逝きし世の面影」214??219頁あたり)。

 しかし、デジタル技術の進展、半導体技術の飛躍的進展によって、ここのところ、急速にモジュール型の製品が摺り合わせ型の製品に取って代わりつつある。
 しかも、日本の熟練技術者の宝庫であり、日本の産業基盤であった中小企業は衰退しつつあり(注2)、日本型経済体制もまた、グローバライゼーションのかけ声の下で崩壊しつつある。

 (注2)日本の中小企業は1986年には532万社あったが、2004年には432万社へと18年間で100万社も減っている。
     そもそも、安い人件費を求めて中小企業が中共等に流出している上、人材難・中共製品の流入などによる中小企業の経営環境悪化・少子化・骨の折れる仕事を避け公務員やサラリーマンを選ぶ風潮等により、中小企業は後継不足にあえいでいる。
     20年前は子供が中小企業の家業を継ぐ割合は79%だったが、今ではこの割合が41%にまで落ち込み、このためもあって、2004年度の日本の中小企業経営者の平均年齢は57.33歳。1982年は52.08歳と、中小企業経営者の高齢化が急速に進んでいる。
     (以上、
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/29/20061029000009.html
     (10月29日アクセス)による。)

 だから、摺り合わせ型製品における日本の強みは減衰しつつある。
 ではモジュール型製品ではどうか。
モジュール型製品においては、各モジュール分野で世界的にみて圧倒的な競争力を持つ企業に付加価値の大半が流れてしまうという現象が起こっている。
 しかし、パソコンにおいて、半導体や基本ソフトなど、コアになるモジュールはインテルやマイクロソフトのような米国企業の独占状態であることからも分かるように、日本企業はコア・モジュールの研究開発能力において、米国企業に比べて劣っている。
 しかもモジュール型製品の生産(組み立て)基地としては、人件費が低い中共等に日本は逆立ちをしてもかなわない。
 (以上、特に断っていない限り
http://bbiq-mbs.jp/blog/nagaike/post_65.php、及び
http://www.murc.jp/nakatani/articles/misc/200406.html
(どちらも11月28日アクセス)による。)

 よって、日本企業は、機能・品質に係る研究開発や、価格に係る生産、以外の何かを追求する以外に生き残る手段はない。
 その何かを私は「匠」と名付けた。

4 感想

 もとも求道者的であった服部氏は、ビジネススクールに留学して、一層その洞察力や予見力に磨きがかかったのでしょうね。
 彼が学者になったのならそれでよかったのです。
 問題は、彼が生まれつき日本の企業を経営をする立場に置かれていたことです。
 その企業が、どれだけ努力しても確実に衰退していく将来が見えていた彼に、そう言われ、だから「匠」・・私に言わせれば、青い鳥以外の何物でもない・・を追求するほかない、と言われた部下や大株主等がどんなに当惑し、反発したかは想像に難くありません。 それが、服部氏の解任につながったのでしょう。
 しかし、服部氏の主張を日本の製造企業論ととらえた時、その99%は間違っていません。
 青い鳥はいないのですから、われわれは、日本の企業の技術開発力を高め、かつ日本を生産基地として再生させる方法を必死になって求めなければならないのです。
 それができなければ、日本の産業の空洞化は、とどまるところなく進行していくことでしょう。