太田述正コラム#1539(2006.11.30)
<日本・米国・戦争(補注)>(有料→2007.4.24公開)
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1 ブラックホーク・ダウンはソマリアのテト大攻勢だった
(1)説明
1992年から1994年まで米国はソマリアに人道的介入を行い、43人の米国人の死と引き替えに、10万人のソマリア人の命を救い、難民の数を半分に減らしました。
しかし、米国では、ソマリア介入は、ベトナム介入以来の対外政策上の大失敗とみなされています。1993年10月までには、当時のクリントン米大統領の対ソマリア政策の支持率は30%に下がり、ソマリア介入を成功だったと考える米国民は25%しかなく、66%は失敗だったと考えるに至ったのです。
ここでもまた、期待が膨らみすぎていたのです。
介入の初期段階での安全回復・食糧支援活動が余りにもうまくいったので、ソマリアのことなど米国民はほとんど忘れかけていたのです。
そこへ、1993年10月、首都マガジシオ(Mogadishu)であの「ブラックホーク・ダウン」戦闘が起こり、米軍兵士が何人も殺されたのです。
TV画面は、連日のように、米軍兵士の傷つけられた遺体や捕虜になったパイロットの姿を映し出したために、当時実施された世論調査によれば、米国民の62%が、ソマリアがベトナムになる、と思いこんでしまったのです。
こうしてクリントン大統領は、ソマリアから撤退する以外に術がなくなるのです。
(以上、
http://www.nytimes.com/2006/11/28/opinion/28johnson.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print。
(11月28日アクセス)による。)
(2)感想
硫黄島の戦いや、特攻機の米軍艦艇攻撃がTVで同時中継されていたら、早期に、日本にとってより有利な条件で日米停戦が実現していたかもしれない、という気がしてきますね。
2 米軍のベトコン退治は英軍のマレー共産軍退治よりも上手だった
(1)説明
マレー危機(1948??60年)とベトナム戦争(1961??75年)を比べてみると、叛乱を鎮圧するのに長けているとされる英軍に比べて、米軍は遜色がないどころか、より叛乱鎮圧に長けているように思えてきます。
マレーは英国が長年植民地として統治してきたので英軍はマレーを熟知していたのに、米軍はベトナムには全く土地勘がありませんでした。しかも、マレーの隣国は親欧米国のタイであり、叛乱分子は外からの補給を受けることができなかったのに対し、ベトコンは、北ベトナムから潤沢な補給を受けることができ、しかも政治的配慮から長期にわたって補給路(ホーチミン・ルート)を攻撃することを米軍は許されませんでした。また、マレーでは英軍対叛乱分子の兵力比は28対1だったのに、ベトナムでは米軍プラス同盟国軍対ベトコンの兵力比は1.6対1でしかありませんでした。北ベトナムが、次第に、当時アジア最強であった北ベトナム正規兵の南ベトナム投入数を増やして行ったことも忘れてはならないでしょう。
にもかかわらず、英軍はドクトリンらしいドクトリンを編み出すことができず、叛乱を鎮圧するのに12年もかかったというのに、米軍はエイブラムス(Creighton Abrams)将軍の編み出した対叛乱分子ドクトリンを用いて、本格介入した1965年からわずか3年で、、ベトコンをおおむね制圧することに成功したのです。
(以上、
http://www.h-net.org/reviews/showrev.cgi?path=313541144860377
(11月30日アクセス)による。)
(2)感想
イラクで叛乱分子の鎮圧に手こずり、万人の万人に対する戦い、という地獄絵を現出させてしまった責任は、やはり米軍にはなく、ベトナムの時の四分の一しかイラクに兵力を投入しなかったブッシュ政権の責任だ、ということになりますね。
(ただし、ベトナム戦争当時のベトナムの人口は南北合わせて3,800万人であった(コラム#619)のに対し、現在のイラクの人口は2,700万(
https://www.cia.gov/cia//publications/factbook/geos/iz.html
。11月30日アクセス)であることと、ベトナム戦争当時に比べて、米陸軍及び海兵隊の兵員数が減っており、徴兵制も撤廃されていることを考慮する必要があります。)
>>特攻機の米軍艦艇攻撃がTVで同時中継されていたら
特攻に関してウィキペディアでは報道管制が敷かれた、と書かれていますね。戦争になればどんな民主主義国家でも多少は全体主義的になるのは仕方ないですよね。イラク開戦時にディキシー・チックスがほされたり。ただウィキペディアではそれに引き続いて
>>(特攻の被害は)のちに一括して報道された。しかしながらその報道がルーズベルト大統領の死と重なったために、国内での衝撃はほとんどなかったという。
と書かれていますが、ルーズベルトは特攻が一番激しかった沖縄戦が始まりほどなくして亡くなりますから、特攻による被害が報道管制されたというウィキペディアの記述は鵜呑みにはできなさそうですが。
(その2)にあるテト攻勢と米軍の撤退は、米国には報道の自由と戦争を遂行するためには国民の総意が必要であることを指し示す好例であって、つまり米国は自由と民主主義の優等生であることを示しているのであって、なぜそれが「出来損ないのアングロサクソン」になるのか理解できません。このLAタイムズの記事は無茶だと思いますよ。北ベトナムを殲滅するまでベトナムからは撤退できず、ピッグズ湾事件を巡ってキューバと全面戦争、湾岸戦争ではクウェートを開放するだけでは満足させられずバグダッドまで攻め上がらなければならない、というのだったら、大男に知恵が回る前に体力と金を使い果たしてしまいます。ケーガンが言うところの「米国は外国に関与すると非難され、非難されることを恐れて関与しなくても非難される」という反米論そのものではないでしょうか。
この記事の姿勢で問題なのは米国に全か無を要求している点にあると思います。現実的には、その中間を選択するほうが理に敵っている場合も多いでしょう。例えば、キューバの政権転覆を目指すために亡命者を反乱軍に仕立て上げるのはコストもほとんどかからないお手軽な軍事オプションですし、逆にそのようなお手軽な軍隊を支援してキューバやソ連との全面戦争をリスクするというのはばかげています(ピッグズ湾事件の翌年にキューバ危機が訪れます)。あるいはパーレビ国王にしても実際にはその後治療のために米国に立ち寄ることを許可されていますが、これに反発したイランの学生がテヘラン米大使館占拠事件を起こしたことからも分かるように、国王の亡命を認めることはリスクが非常に高かったわけです。用済みの外国要人のために自国民を危険に晒すというのでは指導者として失格だと思います。お友達を裏切らないためには自国の有権者を裏切ってもよい、ということにはなりません。
最後に米国の名誉のために付け加えておきますが、米国は一度はお友達を裏切ったかもしれませんが、完全に見捨てたわけではありません。ピッグズ湾事件の反乱軍はその場でほとんどが捕らえられましたが、ケネディはカストロに身代金を払って取り戻しています。国王は亡命できなかったかもしれませんが、それ以外の王族で米国に亡命できた人はいます(知り合いに超金持ちがいる)。ブッシュ大統領の息子もシーア派とクルド人の敵を討ち取ったでしょ?最後にディキシー・チックスも全国ネットの音楽賞番組で反戦ソングを歌って見事にカムバックを果たしました。
事実関係は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%94%BB
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-boot22nov22,0,2711108.column?coll=la-opinion-rightrail
http://en.wikipedia.org/wiki/Bay_of_Pigs_invasion
http://en.wikipedia.org/wiki/Iran_hostage_crisis
を参考にしました。