太田述正コラム#1550(2006.12.6)
<米国のヒスパニック差別(その1)>
(まだ、新規の有料講読の申し込みは2件しかありません。
コラム#1540の後半を参照されて、どしどし ohta@ohtan.netにお申し込み下さい!)
1 始めに
私は以前、「スペイン・ラテンアメリカとは何か」シリーズ(コラム#131、146??149)の最後に、「米国では、今年黒人が中南米系に人口数で追い抜かれ、米国における最大の少数民族たる地位を失いました。ちなみに、中南米系をHispanic(米国政府用語)と呼ぶかLatinoと呼ぶか、今米国で論議が起きています。前者はイベリア半島出身の白人系の中南米人をイメージさせるのに対し、後者は原住民系をイメージさせるのだそうです。なお、Chicanoは中南米系中のメキシコ系を指します。・・<こ>の調子で中南米系の人々の影響力が大きくなって行くと、キリスト教原理主義勢力の伸張(コラム#95)ともあいまって、やがて米国の西欧化、すなわち米国のアングロサクソン文明からの離脱、ということになりかねないかもしれませんね。」と記したことがあります。
今回は、このヒスパニック問題を正面から取り上げることにしました。
2 既存の米国史のウソ
(1)先達としてのスペイン人
冒頭に引用した拙文は、今にして思えば、やや米国の指導層であるWASPの世界観寄りであり過ぎた、と思います。
実は、米国はもともとヒスパニックの国であって、最近の米国でヒスパニック系の人々が増えてきたのは、米国が本来の米国に戻りつつあるだけだ、という見方もできるからです。
大西洋を渡ってきて最初に北米大陸に上陸した人物はスペイン人のポンセ・デ・レオン(Juan Ponce de Leon)であり、1513年のことです。彼はその地をフロリダと名付けました。
その後の30年間で、スペイン人はアパラチャ山脈、ミシシッピー河、グランドキャニオン、グレート・プレインを「発見」し、スペイン船は、東海岸を現在のメイン州まで北上し、西海岸はオレゴン州まで北上しました。
また、1528年から1536年にかけて、四隊に分かれたスペインの探検隊が、フロリダからカリフォルニア湾まで踏破しましたし、1540年にはスペインは、スペイン人とメキシコ原住民、計2,000名をもって、現在のアリゾナ州とメキシコの国境あたりから現在のカンサス州のあたりまで踏破しました。
要するにスペイン人は、イギリス人が北米大陸に植民する以前に、現在の米国本土の半分に足跡を残していたことになるのです。
しかも、スペイン人は、単に足跡を残しただけではなく、植民もしたのです。
北米大陸の最初の植民地は、スペイン人がフロリダのセント・オーガスティン(St. Augustine)につくったものですし、スペイン人が現在のニューメキシコ州サンタフェ(Santa Fe)につくった植民地もイギリス人がつくったプリマス(Plymouth)植民地より古いものです。
その後もスペイン人は、サンアントニオ(San Antonio)、ツーソン(Tucson)、サンディエゴ(San Diego)、サンフランシスコ(San Francisco)に植民地をつくりました。
もう一つ、スペイン人は、現在のバージニア州のチェサピーク湾(Chesapeake Bay)に、イギリス人が1607年にジェームスタウン(Jamestown)をつくる37年も前に植民地をつくっているのです。
そもそも、スペイン人が先鞭を付けてくれたからこそ、イギリス人は北米大陸に容易に分け入って行くことができたのですし、アフリカ出身の黒人奴隷の使用やタバコ栽培はイギリス人がスペイン人から受け継いだものです。
(2)ヒスパニックへの差別意識の原点
それなのに、どうして北米史の中にスペイン人がほとんど登場しないのでしょうか。
第一の理由は、スペイン人がフランス人同様、北米大陸における敗北者になったからです。
その結果、勝者たるイギリス人、及びその子孫たる米国人が書いた北米史の中で、スペイン人の事跡はほとんど語られなくなった、というわけなのです。
しかも、南北戦争で北部が勝利したため、バージニア州でのスペイン人の事跡などは、きれいさっぱり拭い去られてしまったのです。
第二の理由は、もともとイギリス人、すなわちアングロサクソンが16世紀当時から、カトリックのスペインを厭わしく思うと同時に、そのスペインが南北アメリカ大陸に築いた帝国をやっかみの念で眺めていたことです。
そして、この嫌悪と嫉妬心がないまぜになって、アングロサクソンは、スペインの植民地経営を、貪欲・殺戮・搾取・異端審問、といったイメージで本にしたり画に描いたりしたりするようになったのです。
もっともこのイメージには一抹の真実が含まれていました。
スペイン人が原住民の手や足をちょん切った上で奴隷にしたり、原住民を鎖につなぎ首かせをつけてこきつかったり、犬にかみ殺させたり生きたまま火にくべたりした、というのは史実です。
しかし他方で、原住民虐待をスペイン王に訴え出た宣教師がいて、原住民保護の布令をかちとったりした事実もないわけではありませんし、イギリス人だって、スペイン人ほどではなかったにせよ、相当ひどいことを原住民に行っています。
米国が独立してからも、このようなスペイン人観は受け継がれました。
そのスペイン観とは、スペイン人は、凶暴で吝嗇で裏切り者で狂信的で迷信的で臆病で私腹を肥やし、退廃的で怠惰で権威主義的だ、というものです。
このスペイン人が、米独立戦争が終わった1783年の時点で、今日の米国本土の約半分を領土にしていたのですから、独立したばかりの13州の米国人達が、この広大なスペイン領を何とか簒奪したいと思ったのはごく自然なことであり、やがて、この思いと上述したスペイン人観が結びつき、米国によるスペイン領侵略が正当化されることになるのです。
すなわち、スペイン領に住むスペイン人と原住民(インディアン)と黒人の雑種という劣った人種・・ヒスパニック・・の野蛮と専制主義からアングロサクソン文明を守るためにも、スペイン領を征服してそこにアングロサクソン文明を植え付ける必要がある、という理屈です。これは、インディアンを征服した時の理屈と同じでした。
こうして1819年から1848年にかけて、米国はスペインとメキシコから領土を奪うことによって、米国領を約三分の一拡大することになります。
当然、初期のうちはヒスパニックが、この新しく獲得された地域の住民の多数を占めることとなり、その状態は20世紀まで続きました。
(3)ヒスパニックへの差別意識の復活
20世紀に入って、ヒスパニック人口が、上記地域で少数になるにつれて、米国人の間からヒスパニックへの差別意識は薄れて行ったのですが、米国で、近年、中南米移民の不法入国の増加もあって急速にヒスパニック人口が増えてきたことに伴い、かつてのヒスパニックへの差別意識が復活してきたのです。
(以上、
http://www.nytimes.com/2006/07/09/opinion/09horwitz.html?pagewanted=print
(7月10日アクセス)による。)
(続く)