太田述正コラム#1558(2006.12.10)
<「西側」文明の虚構(その1)>

 (有料購読の新規申込みは3件にとどまっています。コラム#1540の後半を参照され、ぜひお申し込みください。コラムの配信開始と(希望者に対する)コラム・バックナンバー(主要関連投稿付き)の送付は年明けですが、12月28日までに申込みと会費納入を完了された方には、ご希望に応じ、会費納入確認時点で有料化前の本年6月末までのバックナンバーを送付します。
 また、本日から28日までの間、既存の有料読者で有料購読を継続したい方は、会費納入をお願いします。(あらかじめ納入済みの方を除く。)
 新規申込みが少ないので、既存の有料読者の継続に期待をかけざるをえません。
 最後のお祭りになるかもしれません。
 既存の有料読者の皆さんも、太田述正コラムへの叱咤激励文をお寄せいただければ幸いです。コラムに転載させていただきます。
 もう一度繰り返します。12月28日時点で、来年の会費を納入された有料読者の数が129名を下回れば、年明けからコラムの前面有料化に踏み切るとともに、現在のホームページは閉鎖し、まぐまぐとE-Magqazineから撤退します。)

1 始めに

 「西側」文明ないし「欧米」文明なるものは存在しない、と私は言い続けているわけですが、欧米サイドから、このような文明が存在しているかのような発信がしばしばなされることは事実です。
 最近の例を三つ挙げてみたいと思います。

2 フランス人の例

 フランス人のモワシ(Dominique Moisi)は、台北タイムスへの寄稿で、要旨次のように述べています。

 1991年のソ連の崩壊以来の米国単独覇権の時代は、中共とインドの台頭及びロシアの復活によって終わりつつあるが、この3国はいずれも世界の平和と安定を担う用意ができていない。
 そこでEUの役割が重要だ。
 EUは米国と価値観を共にする生来的同盟関係にある。
 だから、そのEUが積極的に米国と手を携えて世界の平和と安定を担っていく必要があるのだ。
 (以上、
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2006/12/05/2003339214
(12月6日アクセス)による。

 モワシの意識の中で、この「EU」の中に英国が入っているのかどうか定かではありませんが、欧州とアングロサクソンが「価値観を共に」している、というのはモワシの願望に過ぎません。
 私のコラムをずっと読んでこられた方には、両者が「価値観を共に」など全くしていないこと、そして、アングロサクソンと「価値観を共に」しているのはむしろ日本であること、をご存知でしょう。
 
3 米国人の例

 (1)その1
 「古典世界」(Robin Lane Fox, THE CLASSICAL WORLD An Epic History From Homer to Hadrian, Basic)という、英オックスフォード大学の先生が書いた、単なる古典ギリシャ・ローマ史の本について、ある米国人が、わざわざ「西側世界の曙」(The Dawn of the West)というタイトルの書評(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/12/07/AR2006120701837_pf.html
。12月10日アクセス)を米ワシントンポスト紙に書いています。
 この書評の、「ギリシャ語とラテン語が西側諸国の教育の中心的地位を失ってから久しいが、古典世界が我々自身の文化に及ぼしている影響は依然として非常に強いものがある。我々は、自分達の言語や法、そして思想や世界観においては更に鮮明に、古典世界の影響を見いだすことができる。」というあたりまでは、「漢文(古代支那語)が東アジア諸国の教育の中心的地位を失ってから久しいが、古代支那が我々自身の文化に及ぼしている影響は依然として非常に強いものがある。・・」という命題とパラレルの話として受け止める余地があります。
 しかし、この書評が続いて、「民主制(democracy)の名前も概念もギリシャ由来だ」とか、「英帝国はローマ帝国になぞらえられた」とか、「ナチスは、ローマ人の作家、例えばタキトゥスの書いたものを援用してゲルマン人種固有の道徳的・軍事的優位なるイデオロギーの喧伝に努めた」などと言っているところを見ると、この書評子は、西側文明なるものが存在し、それは古典ギリシャ・ローマから始まり、現在、地理的には欧州とアングロサクソン諸国からなる、という誤った常識に毒されていることが分かります。
 これは、東アジア文明なるものが存在し、それは古代支那から始まり、現在、地理的には朝鮮半島、日本、ベトナムからなる、と言っているに等しいナンセンスです。
 こんな書評が飛び出すところにも、私が言うところの、できそこないのアングロサクソンたる米国人の面目躍如たるものがありますね。

(続く)