太田述正コラム#1562(2006.12.12)
<支那は民主化できるか(補遺)>
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――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――1 ある読者との対話
<ある読者>(http://d.hatena.ne.jp/jiangmin-alt/20061211/1165846419 より)
コラム#1560は、北京大学の政治学の先生であるJiang Rongが、儒教の影響を色濃く受けている漢人文化の特徴は専制と権力盲従であるのに対し、狼をトーテムとしているところの遊牧文化の特徴は自由・独立・敬意・不撓不屈・協働・競争であるとした上で、支那文明はこの漢人文化と遊牧民文化の二つの文化によって成り立っているのに、前者が後者を抑圧してきたことが、支那文明が欧米の文明に後れを取った原因だと指摘しているのに対して反論した、Academia Sinica Europaea at the China Europe International Business School(上海)のゴセット(David Gosset)所長の主張を紹介している。漢人文化にも自由・民主主義的要素があるとの主張の証拠として、「そもそも、支那の皇帝は専制的独裁者ばかりではなかった。清(Qing)の第4代皇帝の康熙帝(emperor, Kang Xi。1654??1722年)は、【後略】」などとあるが、清は鮮卑だから北方(東方か)遊牧民であって、ここでいう漢人ではないのに、何故にここで清が引合いに出されるのか。
更に言えば、「康熙帝については、唐の太宗(598??649年)とともに、中国歴代最高の名君とされており(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E7%86%99%E5%B8%9D。12月11日アクセス)、例外中の例外だと考えた方がよいでしょう。」(コラム#1561)
あのー、唐も鮮卑だから中国じゃないんだけど。例外なんじゃなくて別物なの。
<太田>
それを言うなら、「唐王朝の李淵が出た李氏は、隋の帝室と同じ武川鎮軍閥の出身で、北魏・北周以来の八柱国・十二将軍と称される鮮卑系貴族の内、八柱国の一家として隋によって唐国公の爵位を与えられていた。のちに、隋から禅譲を受けて新朝を立てるという易姓革命の手続きを踏んだ際に、この爵位にちなんで唐を国号とする。・・李世民は、626年に高祖の長男で皇太子の李建成を殺し(玄武門の変)、第二代の皇帝(太宗)となる。」
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90)
なのですから、唐こそ鮮卑です。
しかし、遊牧民系である唐と清の2代目(康煕帝は、中華帝国としての清の皇帝としては2代目(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%B7%E7%86%99%E5%B8%9D))が稀代の名君であったことは偶然とは思われません。
遊牧文化には、自由・民主主義との親和性がある、ということの例証かもしれませんね。
2 余談:ヌルハチの祖父
清の初代皇帝ヌルハチ(Nurhaci。1558??1626年。存命中はヌルハチは後金の皇帝と称していた。)の祖父のGiocangga(??1582年)の子孫である男性が支那の東北部とモンゴルに150万人以上もいる、という研究が英国の研究所によって昨年公にされました。
ある特異なY染色体を持っている男性は、上記地域でも約3%しかいませんが、上記地域のモンゴル人を含む少数民族だけをとると約5%もいて、この染色体の出現が約500年前であることが突き止められたというのです。
このパーセントを上記地域の現男性人口にかけると、約150万人ということになりますが、普通であれば、約500年前に出現した染色体は、当時の支那の人口1億人が現在は13億人に増えているということを勘案しても、平均して約20人の男性に見出せるだけのはずだ、ということを考えると、最初に上述の特異なY染色体を突然変異で持った男性は、約500年前に生まれたと考えられるGiocanggaに違いない、という結論に達したというのです。
なぜなら、こんなに爆発的に子孫を増やせたのは、無数の女性をはべらせて代々膨大な数の子孫を残すことができた清の皇帝一族の祖先しかありえないからです。
(以上、
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4396246.stm
(2005年11月2日アクセス)、及び
http://en.wikipedia.org/wiki/Nurhaci、
http://en.wikipedia.org/wiki/Giocangga
(どちらも12月12日アクセス)による。)