太田述正コラム#1565(2006.12.13)
<ベレゾフスキー対プーチン(その1)>

1 始めに

 ポロニウム殺人事件で浮き彫りになったのは、ベレゾフスキー一派とプーチン政権とのおどろおどろしい確執であり、ソ連崩壊後のロシアのおぞましさです。
 本シリーズでは、大急ぎで、まずプーチン政権の現状から始めて、ベレゾフスキーらオリガーキーを輩出したエリティン時代に戻り、更にソ連崩壊へと遡ってみたいと思います。
 そこには、できそこないのアングロサクソンである米国の姿が見え隠れしています。

2 諜報関係者の支配の下にあるプーチン政権のロシア

 (1)諜報関係者の「活躍」
 ソ連時代やポストソ連時代初期にKGBやFSB(連邦保安庁)に勤めていた人々は現在、半分がセキュリティー分野で仕事をし、後半分は財界・政党・NGO・地方政府・文化等、様々な分野で活躍しています。
 現在の1016名の、大統領補佐官達や各省庁の長や両院の議員達、そして地方政府の長や議会の議長達の26%はKGBやその後継機関での勤務経験があります。しかも、この中にはKGB等への勤務歴を隠していたり、KGB等の関係機関に勤務していた者もいるので、これらの者を炙り出して行くと、実に78%に諜報機関勤務歴があることが分かります。
 このほか、政府企業の幹部の大部分も諜報機関勤務歴がある者が占めています。

 (2)肥大化するFSB
 プーチン大統領は、自らがかつて長を務めたところのFSBの権限をどんどん強化してきました。
 今や、FSBの任務は、諜報・電子情報・対諜報・対テロ・経済犯罪・国境コントロール・社会のモニタリング、と多岐にわたっています。コンピューター化されたロシアの選挙システムを管理運営する権限も与えられているという説もあります。
 更に、FSBには、非政府セクターの政府によるモニタリングを強化する法律や反政府的であるとみなされる政治活動への外国の資金提供を制限ないし禁止する権限を政府に与える法律等を起草する権限まで与えられている、と指摘する人もいます。
 FSBの予算は急速に伸びており、2006年の予算の対前年伸びは40%弱にも達しています。
(以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/12/11/AR2006121101434_pf.html
(12月13日アクセス)による。)

 (3)「1984年」の具現化
 このようにプーチンのロシアは、建前上は自由民主主義を掲げつつも、その実態は、諜報機関が支配する高度な中央集権国家であり、まさにジョージ・オーウェルの「1984年」を具現化したような社会なのです。
 どうしてロシアがこんな風になってしまったかを理解するためには、プーチン時代に先立つエリティン時代がいかなる時代であったかを理解する必要があります。

3 ロシアが壊れてしまったエリティン時代

 (1)壊れてしまったロシア
 エリティン時代末期の1998??1999年時点のロシアは、ひどい状態でした。
 ロシアのGDPは1990年代初期の半分に落ち込んでいました。これは、米国が大恐慌の時に経験したGDPの落ち込みより2倍もひどい落ち込みです。
 当時のロシアでは、国民の75%が貧困水準以下か貧困水準ぎりぎりの生活をしており、学齢期の子供の10??80%が肉体的ないし精神的欠陥を抱えていました。また、男性の平均余命は60歳未満にまで落ち込んでしまっていました。

 (2)壊したのは米国
 このようにロシアを壊したのは米国である、と主張しているのが米ニューヨーク大学教授のスティーブン・コーエン(Stephen F. Cohen)です。

 (以上、
http://www.nytimes.com/books/00/10/08/reviews/001008.08kaplant.html
http://www.thenation.com/doc/20001002/cohen
(どちらも12月13日アクセス)による。

(続く)