太田述正コラム#12638(2022.3.19)
<刑部芳則『公家たちの幕末維新–ペリー来航から華族誕生へ』を読む(その5)>(2022.6.11公開)

「1856<年>7月にアメリカ駐日総領事のハリスが下田に来航し、翌<1857>年正月16日に幕府はハリスが求める江戸出府を許可した。
 10月21日にはハリスが江戸城に登城し、将軍徳川家定に謁見、通商条約の交渉を求めた。
 6月17日には老中阿部正弘が死去し、幕政は老中堀田正睦(まさよし)(下総佐倉藩主)が担うようになる。
 幕府は12月11日にハリスと通商条約の交渉を始めた・・・
 29日、京都所司代の本多忠民<(注7)>(ただもと)宅で、・・・大学頭(だいがくのかみ)林・・・復斎<(注8)>・・・と目付津田正路<(注9)>(まさみち)・・・の両名は、武家伝奏の広橋光成(みつしげ)と東坊城聡長に条約締結の理由を説明した。

 (注7)1817~1883年。「三河国岡崎藩主。・・・1846年・・・に寺社奉行となる。・・・1857年・・・に京都所司代に転任し、朝廷対策、特に条約締結問題で朝幕間を奔走した。・・・1860年・・・より2年ほど老中を務める。1864年・・・に再任の台命が下った際は一旦は固辞しているが、結局就任した<(老中首座)>。戊辰戦争の際は岡崎藩を恭順に統一した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%BF%A0%E6%B0%91
 (注8)1801~1859年。「林大学頭家11代当主<。>・・・交渉は漢文の応酬で行われたため、復斎はその漢文力を買われ、・・・<1854年、>ペリー艦隊が再来<すると、>・・・幕府に日本側全権の応接掛(特命全権大使)に命ぜられ<た。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%BE%A9%E6%96%8E
 「54年に,全権の一人として日米和親条約に調印。57年・・・末には,ハリスの要求をいれて幕府がアメリカと通商条約締結の方針を決めたことを奏聞するため,目付津田正路とともに上京した。」(ウイキペディアの方には該当記事なし⁉)
https://kotobank.jp/word/%E6%9E%97%E5%BE%A9%E6%96%8E-1102301
 (注9)?~1863年。「幕臣(旗本)。・・・1856年・・・2月に目付に任ぜられる。10月に外国貿易取調掛、翌・・・1857年・・・アメリカと通商条約を締結の方針であることを奏聞するための使者として林復斎とともに上京した。・・・1858年・・・6月には露使節応接掛を拝命、翌7月に日露修好通商条約を結んだ。同年10月11日箱館奉行に転任、・・・1860年・・・12月外国奉行兼帯となり米使節との交渉に臨んだ。・・・1862年・・・7月箱館奉行を免じられる。閏8月外国奉行から勘定奉行に転任する。・・・1863年・・・7月に大目付になるが、翌月に没した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E6%AD%A3%E8%B7%AF

⇒朝廷との連絡にいちいち2名を上京させるという(相互牽制、相互監視のための)慣例を幕府が維持し続けたのも大時代的です。
 使節は1名で、後は(漢文力ある者を含め)お付き、という「近代的」なやり方に切り換えられなかったこと一つとっても、ささいなことながら、幕府の命運が尽きかけていたことを象徴しています。(太田)

 その要点は、一、アメリカだけならともかく、各国と戦争になったら勝算の見込みがない、二、現状では「鎖国」を維持することが困難である、三、外国商人に開放する場所は江戸近郊に限り、京都を除く、であった。・・・
 ところが、孝明天皇は自分の代で「開国」を容認することは先祖に対し申し訳ないとの思いが強く、通商条約を締結することに消極的であった。・・・」(25~26)

⇒そんなもの、孝明天皇による、「鎖国」(注10)の定義抜きでの「思い」だったことはさておき、「鎖国」する時は幕府が単独で勝手にやった(注11)というのに、「先祖」とは一体誰のことが念頭にあったのでしょうね。

 (注10)「一般に鎖国とは、日本の近世封建制国家がその支配を確立しようとして、それと相いれないキリシタンを徹底的に禁圧するために、外交・対外交通・貿易を極端に取り締まり、制限したことから発生した国際的な孤立状態をさす。また、上述の目的のために、幕府が実施した政策のとくに法的措置を鎖国令と言い習わしている。」
https://kotobank.jp/word/%E9%8E%96%E5%9B%BD-68867#:~:text=%E3%81%95%E2%80%90%E3%81%93%E3%81%8F%E3%80%90%E9%8E%96%E5%9B%BD%E3%80%91,%E3%81%BE%E3%81%A7200%E5%B9%B4%E4%BD%99%E3%82%8A%E5%AE%9F%E6%96%BD%E3%80%82
 (注11)「鎖国令<は、>江戸幕府が発した、外国との通交・貿易を禁止する一連の法令。・・・1633<年>から<1639>年までの間に<5>回出された。」
https://kotobank.jp/word/%E9%8E%96%E5%9B%BD%E4%BB%A4-510043

 まことにもって、杜撰、かつ、非論理的、であることよ、です。(太田)

(続く)