太田述正コラム#1581(2006.12.21)
<米国慈善事情(その4)>
ゲーツとバフェットの慈善への取り組みを、鉄鋼王カーネギー(Andrew Carnegie)が1989年に上梓した「富の福音書(The Gospel of Wealth)に照らして解明してみましょう。
この本の中でカーネギーは、ビジネスの世界で成功して富を築いた人間は、世の中がどういう風に動いているかを判断することに長けており、資源がどこに投入されるべきかについてより的確な判断ができるのだから、慈善事業にも向いている、と主張しました。そして、このような人間は、自分の才能が枯渇する前にビジネスの世界から退き、残りの人生を慈善のために富を散財することに捧げるべきだ、と主張したのです。恐らくは自分よりは才能のない自分の子供達に金を残すよりはこの方がずっとよい、というのです。
もっとも、ビジネスで成功するためには攻撃性や政治的な抜け目のなさといった能力が必要であるところ、こんな能力は、慈善の世界ではむしろマイナスになるとも考えられる一方で、慈善においては、社会問題や芸術あるいは科学の知見が不可欠であることから、カーネギーの第一の主張は必ずしも正しくはない、という指摘がなされてきました(注3)。
(注3)カーネギーのビジネスのやり方はあくどいものだった。機会あらば労働者の賃金をカットし、8時間シフトを12時間シフトに変えようとしたし、労働組合をつぶそうとした。1892年にホームステッド製鉄所でストが起きた時には、雇ったスト破りが何人もの労働者を殺害している。しかし、カーネギーが慈善事業を始めたのは、この悪名を注ぐためではなかったことが今では定説になっている。カーネギーは、図書館を1,800もつくり、科学研究を支援し、800以上の教会にオルガンを贈り、大学の教授のための年金制度を創設し、いまなお活発に活動している大慈善財団である、the Carnegie Endowment for International Peace、the Carnegie Foundation for the Advancement of Teaching、と the Carnegie Corporation を創設した。(
http://www.csmonitor.com/2006/1212/p13s02-bogn.html。12月14日アクセス)
しかも、カーネギーの第二の主張のように、元気なうちにビジネスの世界から退いて慈善の世界に専念することは、言うは易くして実行は容易ではないとも指摘されてきました。カーネギー自身、慈善事業に専念したのは65歳になってからでした。
しかし今年6月、ビル・ゲーツは、カーネギーのご託宣通りのことを、まだ50台なのに、2年後に実行に移すと宣言しました。マイクロソフトを事実上辞めて自分と妻の慈善財団の運営に専念する、というのです。
その直後に今度は、76歳のバフェットが、彼の残りの資産のうちの大部分である310億ドルを逐次ゲーツ夫妻の財団に寄付する、と発表したのです。
これまで米国では、カーネギーにせよ、ロックフェラーにせよ、フォードにせよ、そしてゲーツの例を見ても、自分の設立した財団に資産を寄付する、というのが通例(注4)だったのですから、これは、極めて異例なことです。
(注4)しかも、カーネギーらは、自分の財団が金を支出した先の図書館やコンサート・ホールに自分の名前を刻ませた。
バフェット自身、自分自身の慈善財団に、しかも自分の死後、残りの資産を遺贈しようと考えていたところ、考えを変えたのです。
バフェットが、これだけ巨額の資産をゲーツの手にゆだねようとしのは、ゲーツが親友であったからではなく、また、カーネギーの二つの主張に遅まきながら感化されたわけでもなく、バフェット自身が、ゲーツは経営者として傑出しているだけでなく、少なくとも自分より慈善の世界ではるかに高度の能力がある人物である、と見込み、自分が死ぬ以前に逐次ゲーツに自分の資産を委ねていき、それら資産がゲーツによって慈善目的に有効活用されることを期待したからです。
バフェットは、米国の他の金持ち達が自分の例に倣ってくれればよい、とも語っています。
(以上、特に断っていない限り
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/26/AR2006062600614_pf.html、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/26/AR2006062601229_pf.html
(どちらも6月27日アクセス)、
http://www.csmonitor.com/2006/0628/p01s01-usec.html
(6月28日アクセス)、及び
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2006/07/25/2003320354
(7月26日アクセス)による。)
ゲーツやバフェットの慈善への取り組みは、米国人の基準に照らしても、立派なものであり、米国とは対蹠的な慈善文化の下にあるわれわれ日本人としても、色々考えさせるものがありますね。
(完)