太田述正コラム#1582(2006.12.22)
<ある独裁者の死>

 (本日、新たに入金が確認できたのはわずか6名でした。助っ人(コラム執筆者)は1名で変わりません。入金等目標の129名まで、後52名もあり、週末あけの4日間で達成できなければ、完全有料化です。他方で新たに1名新規有料講読の申し込みがありました。これで、新規申し込みは9名になりました。今期遅れて有料会員になられた会員番号127と128のお二人は、新たに入金されないと、来期の講読継続はできませんのでご注意のほどを。また、6名の方は、私に振込先を問い合わせてこられたのにまだ入金されていません。早急にお振り込みください。
 新規申し込みや振込先のお問い合わせ等は、ohta@ohtan.net へ。)

1 始めに

 人口500万人のトルクメニスタン(Turkmenistan)の終身大統領のニヤーゾフ(Saparmurat Niyazov。1940??2006年)が12月21日、心臓病で急死しました。享年66歳です。
 北朝鮮の金親子と良い勝負の彼の独裁者ぶりを振り返って見ましょう。

2 故ニヤーゾフの独裁者ぶり

 (1)ニヤーゾフの経歴
 
 ニヤーゾフは、第二次世界大戦で父親を失い、首都を襲った大地震で1948年に母親と残りの近親者全員を失い、孤児院と遠い親戚による養育で人となります。
 優秀であった彼は、レニングラード(現在のサンクトペテルブルグ)の技術系の大学を卒業し、ソ連共産党の中で出世していき、1985年に45歳の時にゴルバチョフによってソ連のトルクメン共和国のトップである共産党第一書記に任命されます。
1991年のソ連崩壊後、彼は独立したトルクメニスタンの大統領に就任し、インチキな選挙で再選を重ね、死ぬまで大統領のポストにとどまりました。
2002年には、お手盛りで終身大統領に就任しています。

 (2)ニヤーゾフの独裁者ぶり

 トルクメニスタンは、世界第5位の天然ガス埋蔵量を誇り、ここから得られる収入をニヤーゾフは、自分の息のかかった海外口座に入金させ、その一部をもってこの国の水道、ガス、ガソリンの補助金等に充てたものの、国民は基本的な物資に事欠き、今月も首都アシュガバート(Ashgabat)でパンが不足して騒ぎになっていたところです。
 ニヤーゾフは、秘密警察要員とその協力者の網を社会の隅々まで張り巡らせ、独立したメディアと野党を禁止し、ライバルは自宅軟禁したり、精神病院に入れたり投獄したりし、残りは亡命に追いやりました。投獄された人々は拷問を受け、多くの人は死亡しました。
 その結果、トルクメニスタンの政府には、無能な人間かイエスマンしかいなくなってしまいました。
 ニヤーゾフの姿は国中で目にすることができます。
 すべての硬貨、お茶の缶、ウオッカの瓶、国営TVの画面の右上、巨大広告板に彼の姿を見出すだけでなく、彼は金無垢の彼自身の高さ200フィートの像を首都のど真ん中に設置しました。この像は太陽の動きに合わせた回るようになっており、常に顔面に太陽の光があたるようになっています。
 町や空港や道路やビルにも、やたらに彼の名前がつけられました。

 1億米ドルもかけて中央アジア一大きいモスクもつくりました。
 首都の官庁のビル群や噴水や彫刻には白い大理石が使われています。
 ニヤーゾフはまた、砂漠(Kara Kum desert)地帯に巨大なイトスギの森林や巨大な人造湖をつくり、首都近郊には氷でできた宮殿をつくりました。イランとの国境付近に人工雪のスキーリゾートもつくりました。
 トルクメニスタンの大人も子供もほぼ全員が、ニヤーゾフが自分の哲学と歴史観を披露した著書を勉強することが強制され、全ての図書館では、この本とニヤーゾフの詩集以外の本は片付けられてしまいました。
その一方で、学校教育で教科書は使われなくなり、中等教育は1年削減され、大学の教育課程も大幅に削減され、女性の就学率は低下しました。
保険衛生も、旧ソ連の共和国の中では最低水準まで落ち込みました。
 更にニヤーゾフは、外来文化であるとして、オペラやバレーやオーケストラを禁止し、首都近郊に「トルクメンバシ(Turkmenbashi。すべてのトルクメン人の指導者、という意味でニヤーゾフの尊称)の話の世界」というテーマパークをこの12月にオープンさせました。
 1月の呼称は彼の名前に変え、4月の呼称は彼の母親の名前に変えました。
 ロシア人向けの学校は閉鎖し、ロシア語の使用を規制しました。
 このほか、気まぐれとしか思えないのですが、青年のあごひげや長髪、カーラジオを聞くこと、TVや結婚式等の行事で生以外の音楽を流すこと、更にはビデオゲームや金歯も禁止し、公共の場所での喫煙を禁じ、一時期は歯によいからと、人々に骨をしゃぶることを奨励したりしました。

3 トルクメニスタンの今後

 憲法上は、下院議長が暫定大統領に就任することになっていたのですが、ニヤーゾフが下院議長を兼任していたため、(一説によると下院議長に犯罪容疑があるため、)副首相が暫定大統領に就任しました。
 憲法によれば、上院が大統領候補を選び、2ヶ月以内に大統領選挙が行われることになります。
 ニヤーゾフにはロシア人の妻との間に2人子供がいましたが、昨年に憲法を改正して、純粋なトルクメン人以外も大統領になれるようにしたものの、息子を後継に指名することなく、逝ってしまいました。
 このニヤーゾフの息子はプレーボーイでトルクメニスタンの主要部族の間で人気がないこともあり、誰がニヤーゾフの後継になるかは、現時点では全く分かりません。
 そんなことより深刻なのは、ニヤーゾフがすべて、とりわけ教育と保険衛生を破壊し、あらゆる人を腐敗させ、人々がお互いに誰も信じなくなったことだ、と指摘されています。

 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/12/21/AR2006122100063_pf.html
http://www.nytimes.com/2006/12/21/world/asia/21cnd-turkmen.html?ei=5094&en=391b1280fd08de98&hp=&ex=1166763600&partner=homepage&pagewanted=print
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6199021.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6198983.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6201669.stm
http://www.guardian.co.uk/international/story/0,,1976842,00.html
http://www.guardian.co.uk/international/story/0,,1977043,00.html
(いずれも12月22日アクセス)による。)