太田述正コラム#1589(2006.12.25)
<マクファーレン・マルサス・英日(その3)>
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(7) 媒介性疾病
日本では、19世紀に鎖国が解けるまで、腺ペスト・チフス・マラリアという三つの最も致死性の高い媒介性疾病はほとんど流行しなかった(PP203)。
英国ではそうはいかなかった(PP204)。
(8)公共的環境
江戸時代から明治期にかけての日本には、煙突の不在と暖房用の炭の使用により、都市の空気はきれいだった。また、農耕や交通手段に馬がほとんど使われていなかったために、馬の糞もほとんど落ちていなかった。江戸も巨大な農村といった趣があり、スラムも欧米のそれと比べるとはるかに居心地の良いところだった。(PP206??207)
都市の街路は、両脇の家によって一日一回、水を打った上で掃き清められ、それでも残った物はカラスが片付けてくれた。日本人は欧米人のようにカラスを目の敵にはしない。(PP209)
当時の日本には、そもそもリサイクル文化とでも言うべきものがあり、ゴミを余り出さなかったことも、公共的環境の清潔さにつながった(PP208)。
だから、当時の日本には家蠅がほとんどいなかった。これは当時の支那等とは大違いだった。(PP216)
これに比べると英国はひどかった。
豊かな英国は、都市では欧州諸国以上に馬を交通手段にふんだんに使ったために街路は糞まみれだったし、欧州諸国と違って石炭を燃料としてふんだんに使えたために、都市の空気は汚れきっていた(PP211)。しかし、農村では家畜の糞は肥料用途に厳重に管理され、おかげで英国は、欧州諸国のように国中が蠅に悩まされる、ということはなかった(PP215)。
それでも、総じて言えば、英国の公共的環境の清潔さは、オランダにこそ一歩譲ったが、欧州諸国の大部分より上回っていた(PP213)。
(9)家屋
石炭を調理や熱源としてふんだんに使ったことは、英国の家の中には清潔さをもたらした。冬でも家の中が暖かく、また、換気をせざるをえないことから、家の中の空気は比較的きれいに保たれたからだ。(PP224)
他方、日本の家は19世紀末に至るまで、きわめて小さく華奢であり、地震や台風には柔構造で対応した。また、床下にも空間があり、また、壁はなきに等しく、外のきれいな空気が自由に屋内に入り込んだ。このため家の中は、冬は非常に寒かったが、それでもおつりがくるほど健康的だった。(PP226??228)
家の中は、一日二回掃除され、年一二回は大掃除が行われた。しかも、時々大火事が起こって、家は灰燼に帰すものの、ただち立て替えられることで、有毒な黴菌や虫が一掃されて日本の都市は古びて汚くなることを免れた。(PP233??234)
蚊帳がどの家にも普及していて、蚊が部屋の中から完全に閉め出されていたところは、20世紀にに至るまでは、世界中で日本だけだった(PP235)。
(10)衣類と履き物
英国とオランダは、何世紀にも渡って、欧州地域において、最も住民が最上で高価な衣類を纏っている国だった。近代初期の欧州諸国では、大部分の人は裸足だったが、英国では、貧乏人も靴を履いていた(PP240)。
日本には、英国よりも2世紀も前に木綿の衣類が普及した(PP250)。
ただ、英国の水準に照らせば、江戸時代の日本の衣類は粗末だった。しかし、衣類は水でよく洗われたし、その際、石鹸はなかったけれど、灰からつくられたアルカリが用いられたし、衣類はバラされて再生された。その衣類はゆったりしており、換気が申し分なかった。そもそも、夏期には人々はほとんど裸だった。(PP246??247)
日本人が粗末で簡単な衣類で十分としていたことが、自動織機(power loom)を必要としなかった理由の一つであると考えられる(PP250)。
ハンカチ代わりの懐紙がふんだんに用いられたのも日本の特徴だ(PP248)。
しかし、日本の履き物は粗末さは衛生上問題なしとしなかった(PP248)。
(11)風呂と手洗い
19世紀初頭の時点では、英国では、毎日顔や手を洗ったものの、体を洗うことはめったになかった(PP251)。とはいえ、石鹸は高価であり、19世紀後半まで普及しなかった(PP253)。
個人の家に風呂場を設けるというのは、英国で始まったことだが、19世紀末に至るまでは、風呂場は金持ちの家にしかなかった(PP252)。
これに対して、日本人の風呂フェチぶりは有名だ。これは、温泉がどこにでもあったことと、清浄を尊ぶ神道の影響があると考えられる。(PP256)
日本の風呂屋は、欧米の中央広場やコーヒーハウスに匹敵する、地域社会の集会場だった(PP259)。
もっとも、日本人は風呂に入りすぎで、皮膚を痛め、感染症に罹りやすかった(PP266)。
(続く)