太田述正コラム#1591(2006.12.26)
<マクファーレン・マルサス・英日(その5)>
(前回のコラムを有料読者の方には、日付違いで送ってしまいました。また、「ウェズレーは、「清潔さは神性格に近い」と主張した」の「神性格」は「神性」の誤りであり、「当時の日本の女性の非婚率は、欧州地域よりは低かったが、アジア地域の中では際だって低かった」の後の方の「低かった」は「高かった」の誤りです。大変失礼しました。ブログとHPは直してあります。)
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<新規有料講読申し込み者>
太田様、xxと申します。
メルマガを無料購読していましたが、完全有料化のピンチとのことですので、微力ではありますが、定期購読を申し込みます。
一時はeconomistやihtなどを購読しておりましたが、時間と英語力の不足から、もっぱらwsjやbarronsなど投資関係のものに目を通すのみになっておりました。
太田様のコラムでは、日本の新聞では伝えられない世界の動向をご解説いただき、感謝しております。今後とも、旺盛な情報発信を継続いただけることを期待しております。
<太田>
これで、新規有料購読を申し込まれた方は、10名になりました。全員会費を納入済みです。
心から御礼申し上げます。
26日現在、上記を含め、来期の会費を納入済の方は98名に達し、助っ人(コラム執筆等)1名を加えると99名ですが、目標の129名を達成するためには後2日間で30名の方が会費を納入するか助っ人を引き受けていただく必要があります。
会費を振り込むとご連絡をいただいている方が現在6名おられます。最終日であるあさって28日まであきらめませんので、その他の方々も含め、よろしくお願いします。
新規申し込みや助っ人(コラム執筆等)希望者は、ohta@ohtan.net へどうぞ。
完全有料化した場合の一案については、コラム#1587にお示ししたとおりです。既存の有料会員で継続されなかった方は、太田述正管理リスト(同コラム)に移させていただきます。
<ある既存有料読者>
太田様、アマゾンでギフトカードを送りました。
コラム執筆も考えましたが、私と似たような境遇の方がコラムを書かれるということなので、今回はお金を払うことにしました。
以下質問です。コラムを執筆する場合、コラムの題はどのように決めるのでしょうか?
<太田>
何をコラムに書くかさえ、あらかじめ決めていることはまずありません。
その日にインターネットをブラウズして、適当な材料を見つければ、そのことをコラムにしますし、なければ、過去のダウンロードとか、過去に読んだ本を材料にしてコラムをひねり出します。(近況報告とか読者の声だけでコラムを構成する場合は別です。)
コラムを書く際に一応題はつけますが、書き終えてから題を変更する場合もあります。 題はかなり無造作につけていると言っていいでしょう。
<太田>
12月30日(土)1400から、事務所(練馬区豊玉南3-10-12 野方パークハイツ305号(03-3992-3342))で3回目のオフ会を緊急開催します。テーマは、今後の太田述正コラムのあり方、例の創価学会関連訴訟一審判決(本日付)の報告等、これまでの太田の活動を振り返って、などです。
島田さんと会う話が、彼からの提案でダメもとでオフ会にしようということになりました。
有料読者でない方も、大歓迎です。
出席希望者は、ohta@ohtan.net にメールで、または、ホームページの掲示板への投稿でお知らせ下さい。
会費は500円です。なお、事務所用のカレンダーを持参していただける方がいると助かります。何本もいらないので、持ってきていただける方はその旨ご連絡下さい。
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(15)避妊
江戸時代から明治期にかけての日本の特異性は、子供が2歳から場合によっては5歳くらいまで続いた授乳期間の長さだ。当時の欧州地域の優に二倍はあった。その理由の一つは、日本では牛乳を用いる習慣がなく、子供に与えるものが母乳しかなかったためだが、これには避妊効果もあった。
しかも、農村では女性が過酷な農業労働に従事しており、体に大きな負担がかかったことも、出産率の低下につながっていた。
(以上、PP319??320、324による。)
少なくとも16世紀から、欧州地域では、都市で、そして中産階級以上では、乳母を使うのが通例となった。その例外がオランダと英国だ。特に英国においては、富裕階級においても、乳母を使うことは稀だった。(PP326)
しかも、英国では授乳期間が一年以上と長く、その点でも欧州地域では例外だった(PP327)。
日本と英国は、それぞれの地域においてこのように抜きん出て授乳期間が長いという点で共通点があっただけでなく、人工的な避妊方法を余り好まなかったという点でも共通していた(PP332)。
オギノ式避妊法が日本で生まれたことは興味深い(PP329)。
(16)堕胎と嬰児殺し
日本では盛んに堕胎や嬰児殺しが行われたが、英国ではそこまでしなくても人口増を回避できたので堕胎や嬰児殺しはほとんど行われなかった(PP350)。
ちなみに、英国では、欧州諸国、特にそのカトリック地域とは違って堕胎に対する宗教的禁忌はほとんどなかったし、法的にも堕胎は罪ではなかった(PP334)。
(17)子孫の残し方
英国の人々は、世界で他に例を見ないことだが、貴族を除いては、子孫を残すことに、何の関心も持たなかった。というのは、英国では大昔から市場経済が発達しており、労働力は市場で調達できたし、病や老いに対する備えは家族外のメカニズムによって充足されていたので、子供がいなくても精神的にも経済的にも全く困らなかったからだ。だから、子供の性別による選好も全く見られなかった。同じ理由で、養子縁組が法的に認められるようになったのは20世紀になってからだ。
この英国と対蹠的な社会がインドだとすれば、日本の人々はこの両極端の社会の属性をないまぜにした、独特の子孫の残し方をした。
というのは、日本でも少なくとも14世紀までには市場経済が発達し、労働力は市場で調達できるようになっていた反面、日本は英国よりははるかに家族労働に依存していたからだ。だから、日本では養子縁組が盛んに行われた。
(以上、PP360??361による。)
しかも、その養子縁組は血縁にとらわれることなく行われた。日本では家族は法人のようなものだったのだ。養子縁組を通じて階層間移動が行われることも珍しくなかった。こんな血のつながっていない養子縁組は、支那の儒教の教えに反することだったというのに・・。(PP363)
このように家族は法人のようなものだったから、使用人達も家族の一員として扱われた(PP364)。
日本では、農村で土地が限られていたこともあって、跡継ぎたる男子は一人いれば十分だった(PP367)。
このような法人たる家族における子孫は少数精鋭でなければならなかった。だから、農村地帯では足入れ婚が通常であって、子供ができない女性は実家に戻されたし、奇形児が生まれると嬰児殺しの対象になった。このため、江戸時代から明治期にかけての日本は、世界で最も奇形の人が少ない社会だった。(PP352??353)
さりとて、日本で男児が選好された、というわけでもない。最初の何名かは男児が好まれるが、それ以上子供が増えた場合はむしろ女児が好まれた。男児が多くなりすぎると家族内の不和の原因になるし、女児だって、男児が全員死んだ場合は家督を継がすことができたし、婿養子を迎えることもできたからだ。だから、家族が大きくなればなるほど、女児の数が増えたものだ。(PP355
??356)
要するに、英国と日本は、そうなった原因こそ異なるけれど、子供は多ければ多いほどよい、というわけではなく、その効用と費用を慎重に計算してつくるべきものと考えられていた、という点で、世界の中で極めてめずらしい存在だったのだ(PP368)。
(続く)